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天下を競望せず…
わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。
永禄8年(1565年)4月17日、毛利(もうり)軍は尼子(あまこ)の月山富田城(がっさんとだじょう)への総攻撃を開始した。
※画像はお借りしました
月山富田城を攻めるため、これまで周辺の城を落としたり補給路遮断したりして月山富田城を孤立させてきたんだよね
月山富田城の城内への通じる道は3つあり、元就(もとなり)率いる軍勢は正面の御子守口、小早川隆景(こばやかわたかかげ)率いる軍勢は北側の菅谷口、元春率いる軍勢は南側の塩谷口を攻めた。
尼子は御子守口を当主、尼子義久(あまこよしひさ)率いる軍勢、菅谷口を義久の弟、秀久(ひでひさ)率いる軍勢、塩谷口には義久の弟、倫久(ともひさ)と山中鹿介(やまなかしかのすけ)率いる軍勢が対しました。
山中鹿介
鹿介さんの名は山中幸盛っていうんだけど、ここでは山中鹿介って呼ぶね
元春の陣には、この合戦が初陣となる元春の長男、元資(もとすけ)もいた。
元春「者ども!!かかれ!!!」
元春の軍勢は一斉に塩谷口を守る尼子勢にかかって行った。
元資は槍を持ち、敵兵を倒して行った。
元資「はっ!はっ!」
その時、元資の前に立ちはだかるものが出てきた。それは山中鹿介だった。
鹿介「小童!!かかってこい!!」
元資「覚悟!!やっ!!」
バシッ!!
元資の槍は鹿介の長い太刀に叩き落とされた。
鹿介「ふっ…小童、悪く思うな!」
鹿介が元資に斬りかかろうとした時、
カチンッ!!
元春が飛び出して来て鹿介の太刀を弾いたのだ。
元春「かかってこい!!」
鹿介「くっ!おのれ!!」
元春と鹿介は激しく戦った。
尼子軍は善戦し、毛利軍の城内への侵入を防いだのだ。
元就は総攻撃を中止し、洗合城(あらわいじょう)へ一時撤退した…
つづく…
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