猛将親父 〜第62話 三兄弟の最後の出陣〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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目次




天下を競望せず…

わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。



永禄5年(1562年)7月、吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)に毛利元就(もうりもとなり)と3人の息子、毛利隆元(もうりたかもと)、吉川元春、小早川隆景(こばやかわたかかげ)が集まっていた。


毛利元就



隆元        元春       隆景

元就「機は熟した。これより我が毛利は尼子(あまこ)の月山富田城(がっさんとだじょう)を攻める。」

隆元「天文11年の借りをようやく返す時が来た。」

元春「石見も毛利に落ちた。残るは出雲のみ!」

隆景「お任せください!!」



毛利の軍勢は7月3日、吉田郡山城を出陣した。



コアラ隆元さんが言う天文11年って、毛利が大内家(おおうちけ)配下時に月山富田城を攻め、敗走した時のことなんだよ





一方、月山富田城では…




「裏切りおったな!!」


尼子義久(あまこよしひさ)の怒鳴り声が城中に響いた。


家臣の宇山久兼(うやまひさかね)はびくついた。



久兼「殿、落ち着いてくださいませ。」


義久「これが落ち着いていられるか!!毛利が尼子との和議を破ったのだぞ!わしは石見不干渉を守ったではないか!それなのに…」


コアラ毛利と尼子は将軍、足利義輝(あしかがよしてる)の仲介で雲芸和議を結んでいたんだ


久兼「毛利は3万の軍勢で進軍しております。」


義久「…どうするのだ⁉︎ 尼子から毛利に寝返る国人衆が増えておるのだぞ!」


久兼「…月山富田城は天文の戦でも落ちませぬ難攻不落の城。大丈夫でごさいます。」


義久「あの時とは状況が違うであろう!」



この時、居並ぶ家臣の最後列にいた1人の武将が声を上げました。


武将「恐れながら…」


久兼「ん?なんだ?」


武将「九州の大友(おおとも)に決起を促してみてはいかがでしょうか?」


義久「大友…そうだ、大友は毛利と豊前国で争っておる。大友が決起すれば毛利を挟み撃ちにできる。よい策じゃ!久兼、すぐ使者を走らせよ!」


久兼「では早速に!」


義久「今、声を上げたもの…名を何と申す?」


武将「はっ!我は山中鹿介幸盛(やまなかしかのすけゆきもり)と申します。」



山中幸盛


義久「鹿介…覚えておこう。よい策じゃ」







出雲に進軍する毛利の陣に九州の大友宗麟(おおともそうりん)が動いたと報せが入った。


元就「大友が豊前に出兵したぞ。」


元春「…これは尼子と大友の連係ではごさいませぬか?」


元就「うむ、尼子が大友に要請したのだろう。」


隆景「これでは我らは尼子と大友に挟まれまする。」


ここで隆元が、


隆元「父上、元春と隆景と共にこのまま進軍してくだされ。大友にはわしが行ってきます。」


元就「隆元、どうするのだ?」


隆元「大友とは和議を結んできます。将軍義輝公に仲介をお願いしましょう。」


元春「和議?大友が飲みましょうや?」


隆元「多少、こちらが不利でも和議を成立させます。今は尼子攻めが先決です。」



隆元の発言には威厳があり自信に満ちていた。


隆景「隆元兄上、頼みまする。」


元春「大友は兄上に任せて我らは尼子を討つ!兄上、尼子は我らに任せてくださりませ!」



隆元、元春、隆景の3人は手を握りあった。



しかし…これが3人で会う最後となったのだ…





つづく…




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