前回まではこちら⬇️
天下を競望せず…
わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。
弘治2年(1556年)3月、元春は宍戸隆家(ししどたかいえ)、口羽通良(くちばみちよし)と共に石見国に向けて出陣した。
元春は少し浮かない表情をしていた。それは尼子晴久(あまこはるひさ)の存在であった。
尼子は備前を攻めていたが、石見銀山(いわみぎんざん)を抑えるため、備前から退却したと忍びの弥太郎(やたろう)からの報せがあったからだ。
元春『尼子はどのくらいの軍勢でくるのか…』
そんな元春を通良や隆家が励ましていた。
通良「元春様!暗い表情は元春様に似合いませぬぞ!」
隆家「大殿(元就のこと)から任せられた石見攻略、成功させましょうぞ。」
元春らが目指したのは石見の山吹城(やまぶきじょう)。
山吹城のある要害山
山吹城は石見銀山が発見され、その防衛用として延慶2年(1309年)頃に当時の大内氏の当主、大内弘幸(おおうちひろゆき)によって築かれたと伝わっている。
石見銀山は尼子と大内で争奪戦が続いていた。
元春らが石見銀山攻略に向かった時の石見銀山は大内が抑えており、山吹城に刺賀長信(さすかながのぶ)が入っていた。
弘治2年(1556年)5月、元春らは山吹城を包囲した。
元春は使者を山吹城に遣わし、降伏を促したのだ。
通良「長信は我らに下りますかの?」
元春「陶晴賢(すえはるかた)殿を倒した今、大内には力がない。討死するか、降伏するかしかない。」
元春が石見銀山攻略をしている間、元就(もとなり)は毛利隆元(もうりたかもと)、小早川隆景(こばやかわたかかげ)らと大内の周防長門攻略をしており、大内に山吹城を助ける力はなかったのである。
しばらくして山吹城に遣わした使者が帰ってきた。
そして使者と一緒に長信も来た。
長信「刺賀長門!毛利家の意向に従いまする。」
元春「我らに下ると?」
長信「はい。毛利殿には叶いませぬ。」
元春「うむ、では我が父、元就と当主、隆元の書状を得るゆえ、しばらく待たれい。」
元春は周防長門攻略中の元就の元に使者を走らせ、6月には書状を得た。
これにより、長信は毛利家の傘下に入った。
元春「長信、これよりも山吹城に入り、石見銀山を守るのだ。これは父、元就よりの言葉だ。」
長信「ははっ!」
これにより毛利家は石見銀山を手中にした。
元春らは一旦、通良の琵琶甲城(びわこうじょう)に入った。
そこへ弥太郎から報せが入った。尼子軍が山吹城に向けて進軍していたのだ…
つづく…
にほんブログ村




