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天下を競望せず…
わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。
天文10年(1541年)1月13日、次郎(じろう、後の元春)は11歳で初陣を果たし、吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)に帰還した。
帰還した次郎を母の美し(よし)が迎えた。
次郎「母上、次郎生きておりまするぞ!」
美し「はい、よく生きて戻ってきました。」
美しは嬉しく涙が溢れていた。泣きながらも、次郎の側の家臣の福原元正(ふくはらもとまさ)を見つけ、
美し「元正も次郎をよく守ってくれました。礼を言います。」
元正「いや、私が次郎様についていくので精一杯でした。」
その夜…雪が降ってきた。
元就(もとなり)は家臣の志道広良(しじひろよし)と城の櫓から尼子(あまこ)の陣を眺めていた。
元就「敵も疲れたであろう。今宵はかがり火が多いわ…」
広良「…しかし、いつもより、かがり火が多くありませぬか?」
元就「確かに多い……広良!尼子の陣に攻め込むぞ!尼子は逃げたやもしれん!」
広良「はい!」
元就は集められる兵で尼子の本陣に攻め込んだが、もぬけの殻だった。
尼子軍は密かに撤退したのである。
総大将の尼子詮久(あまこあきひさ)は意気消沈していた。
大叔父の尼子久幸(あまこひさゆき)が討死し、吉田郡山城攻略もはかどらず、毛利の援軍・大内(おおうち)からも攻められ勝算を失ったのだ。
詮久「…くそっ…元就め…」
吉田郡山城では、
「えい、えい、おー!」
勝ち鬨の声が上げられていた。
次郎も初陣の勝利に興奮していた。
次郎「えい!えい!おー!、三万の兵に勝ったぞ!」
次郎は勝利を喜び、さらに父、元就の策の凄さを強く感じていた。
元就は大内軍10,000を率いていた陶隆房(すえたかふさ)と戦勝の慰労で会っていた。
隆房「此度の籠城、30,000もの尼子軍によくぞ耐えた。誠に素晴らしい働きであった。元就殿。」
元就「大内様の援軍あったればこそ耐えられもうした。礼を申します。」
隆房「此度の勝利に毛利の大内への忠誠は揺るぎないものであった。我が御館様(大内義隆〔おおうちよしたか〕)は元就殿の嫡子、隆元(たかもと)殿の帰国を許されたぞ。」
元就「隆元が戻ってくる…」
大内に人質として山口に出していた隆元が帰ってくるのであった…。
つづく…
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