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天下を競望せず…
わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。
わしの親父、元春は享禄3年(1530年)に生まれた。
父は毛利元就(もうりもとなり)、中国地方を収める戦国大名である。
しかし、元春が生まれた頃は安芸国(あきのくに、現在の広島県西部)の国人であった。
この頃、安芸国を含む中国地方は二大勢力があった。
二大勢力とは周防国の大内氏(おおうちし)と出雲国の尼子氏(あまこし)であり、毛利氏含む小さな国人衆はその時々で大内に付いたり尼子についたりしている状況だった。
元春が生まれた頃の毛利は大内方であった。
元春の母は美し(よし)。
美しは吉川氏(きっかわし)出身。元就と美しの結婚は政略結婚だったのだ。
政略結婚ではあったが2人の仲は良く、元春の前に男子1人、女子2人が生まれていたのだ。
男子は太郎(たろう)、後の毛利隆元(もうりたかもと)。
長女はこの時、亡くなっており次女は、しんであり、後に五龍の方(ごりゅうのかた)と呼ばれる。
元春が生まれたのは安芸国吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)である。
皆、集まって生まれたばかりの元春の元に集まっていた。
元就「美し、元気な男子だ。よく泣いておるわ。おぉ、よしよし。」
美し「泣き声が響いていますね。」
太郎「大きな声だなぁ。父上、名前はなんですか?」
元就「おぉ、名前か…次郎…次郎(じろう)だ。」
次郎は活発な男子に育った。
そして次郎が3歳の時に弟ができた。
それが後の小早川隆景(こばやかわたかかげ)である。
つづく…
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