今回は歴史連載物語『天狗将軍』のこぼれ話です。
その③
『天狗将軍』の目次はこちら⬇️
戦国時代が始まったのは、応仁の乱(おうにんのらん)から始まったと言われてましたが、衰退したとはいえ幕府の中央政権は機能していた。
その機能が失われたのが、細川政元(ほそかわまさもと)が起こした明応の政変(めいおうのせいへん)が戦国時代の始まりと新たに言われてます。
将軍、足利義材(あしかがよしき)さんを外し、足利義澄(あしかがよしずみ)さんを将軍して傀儡化したんだよね
守護大名は長引いた応仁の乱で実質、領国経営していた守護代に取って変わられ、さらに守護代は国人に潰され…まさに下剋上の世でした。
各守護大名はどうなったのか?
三管領のひとつ、斯波氏は三管領の筆頭でしたが、応仁の乱で2つに割れて家督争いをし、領国の越前国は守護代であった朝倉氏に取って変わられ、尾張国はこれも守護代の織田氏に当主を殺害され、その弟が織田信長(おだのぶなが)を頼ったが、最終的にはその弟も追放されたのです。
信長さんは守護代織田氏を滅ぼしたんだよね
三管領のひとつ、畠山氏は政長(まさなが)と義就(よしなり)に割れて、これも家督争いをし、応仁の乱後も争いは続いたのです。
明応の政変に巻き込まれた畠山氏も下剋上で守護代に各々領国の河内国や越中国を奪われ、かろうじて紀伊国で勢力を保ったが、最終的に豊臣秀吉(とよとみひでよし)に領地を没収されました。
でも畠山氏は江戸時代に高家になり、幕末まで家系は続いたんだよ
周防国の大内氏は大内義興(おおうちよしおき)の代には幕府の中枢にまでなりましたが、義興の子、大内義隆(おおうちよしおき)は守護代、陶晴賢(すえはるかた)に謀反を起こされ自害しました。
晴賢は大内氏の当主に傀儡として大内義長(おおうちよしなが)を立てましたが、厳島の戦い(いつくしまのたたかい)で安芸国の国人、毛利元就(もうりもとなり)に負け討死。
にほんブログ村
宜しければバナー⬆️をクリックしてね