その①
細川政元(ほそかわまさもと)の生きた時代、天皇は2代と続きました。
最初は後土御門天皇(ごつちみかどてんこう)。
在位中に応仁の乱(おうにんのらん)が起きた。
後土御門天皇は乱を避難するため、当時の室町幕府将軍、足利義政(あしかがよしまさ)の室町第に避難し10年間、そこで過ごしたのです。
政元が起こした明応の政変(めいおうのせいへん)に憤慨し譲位を決意するが、臣下のものに諌められ取りやめになったのです。
譲位をすると、その儀式に莫大な費用が必要で当時の朝廷では賄えなかったのです。
明応9年(1500年)9月28日に崩御されますが、葬儀の費用がなく40日間も御所に置かれたままだったのです。
次の天皇は後柏原天皇(ごかしわばらてんのう)。
後土御門天皇の崩御を受けて践祚しました。
しかし、即位の礼に必要な費用が朝廷にはなく、頼りの室町幕府も財政難でした。
文亀2年(1502年)6月、将軍・足利義澄(あしかがよしずみ)が即位の礼の費用の献上を検討しようとしたが、政元は「即位の礼を挙げたところで実質が伴ってなくかれば王と認められない。儀式を挙げなくとも私は王と認める。大がかりな即位の礼など無駄なこと。」と反対したのです。
諸国の守護大名も乱世で即位の礼の費用を献上できる状況ではなかったのです。
資金調達のため、朝廷の儀式を中止し、献金を集め、ようやく即位の礼が行われたのが大永元年(1521年)3月22日でした。
践祚してから22年目でようやく即位の礼を執り行うことができたのです。
政元の死後のことでした。
その後柏原天皇は、即位の礼から5年後に崩御されました。
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