世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
永正4年(1507年)5月29日、細川政元(ほそかわまさもと)は勅旨により京に戻っていた。
政元は丹後攻めは若狭国の武田元信(たけだもとのぶ)、家臣の赤沢朝経(あかざわともつね)に任した。
一緒に細川澄元(ほそかわすみもと)、三好之長(みよしゆきなが)も帰京した。
一方、加悦城を攻めていた細川澄之(ほそかわすみゆき)、香西元長(こうざいもとなが)も帰京していた。
澄之、元長は加悦城を落とし、城主の石川直経(いしかわなおつね)と、またも和睦した上での帰京だった。
政元を勅旨を使って京に戻したのは将軍・足利義澄(あしかがよしずみ)であった。
義澄としては京を空っぽの状態だと、いつ周防にいる足利義尹(あしかがよしただ)と大内義興(おおうちよしおき)が攻めてくるかもしれず気が気でなかったのだ。
政元は帰京して、すぐ義澄に拝謁した。
政元「ただいま戻りました。」
義澄「丹後はどうだ?治まるか?」
政元「はい、元信殿と我が家臣、赤沢を残してきましたゆえ。」
義澄「戦は他のものに任せて政元は京から離れるでないぞ。」
政元は自らが擁立した将軍とはいえ、情けなく感じていた。
政元は帰京してからは、また修験道にのめり込んだ。
その裏で政元の家臣らが…
「このままだとわしらは用済みになるのではないか?」
「阿波のやつらを重用して、わしらの居場所がなくなるぞ」
「阿波のやつらを討つか?」
「いや……修験道狂いの殿で京兆家は大丈夫なのか?」
「京兆家の権力を握るか…」
6月23日、政元はこの日も修験道の経に入ろうとしていた。
そこに忍びの紗奈(さな)がいた。紗奈は政元の元を離れず見守っていたのだ。
紗奈「やはり修験道は続けるのですね。」
政元「ここまでやってきたことだからな…。湯殿で身を清めてくる。」
政元は修験道の経をあげる前は毎回、湯殿で行水をしていたのだ。
政元は湯殿に入り、桶を持った時、何かを感じた。
政元「……来たか…」
つづく…
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