世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
文亀3年(1503年)に細川政元(ほそかわまさもと)の家臣、薬師寺元一(やくしじもとかず)が阿波守護家の六郎(ろくろう)を養子に迎える接渉を行なった後、六郎は元服した。
六郎は将軍、足利義澄(あしかがよしずみ)から一字をもらい、細川澄元(ほそかわすみもと)と名乗ったのだ。
政元も自らの一字"元"を与えていた。これは京兆家の後継ぎを意味するものだが…
政元「わしはまだ後継ぎを決めてはいない!」
元一「元の字は代々、京兆家を継ぐ方の名の一字。決まったも当然ではないですか?」
政元「三代将軍、足利義満(あしかがよしみつ)公に仕え支えた細川頼之(ほそかわよりゆき)公は違うぞ。字に拘るな!」
元一「阿波守護家では澄元様が後継ぎと思っておりまする。」
政元「元一、何をしに成之(しげゆき)と接渉をしてきたのだ⁈ お前は成之に言いくるめられただけではないか!」
元一「そんな…そんなことはありませぬ!私なりに京兆家のことを考えて…」
政元は元一の言葉を遮るように怒鳴った。
政元「愚か者!!下がれ!しばらく蟄居せよ!!」
政元は澄元に一字を与えたのは阿波守護家を押さえるためだったが、内心は腹立たしかったのだ。
翌年、年号が変わり永正元年(1504年)、
政元は元一の摂津守護代の職を解任を決めたのだ。
元一「守護代を解任!?守護代の職に落ち度はないでないか!なぜだ!?」
ところがこの解任に待ったをかけたのが将軍、義澄であった。
義澄「政元、元一はまだ若いし、守護代の職を立派に努めているではないか。そなたの腹心になる家臣であろう。それを解任するなどありえぬ。」
政元「御所様(義澄のこと)、それは御所様の一存にごさいますか?」
義澄「何を申す…わしも政元と同じように元一を頼りにしておるからだ。これはわしの命だ!」
政元「…わかりました。」
政元は裏で阿波守護家が動いているのではないかと疑っていたのだ。
元一は義澄のおかげで解任は免れた。
元一「御所様のおかげだ…。」
元一は義澄に御礼として馬、太刀を贈ったのだ。
しかし…
元一「おのれ…政元め…」
元一の中に政元に対する恨みが残った…。
つづく…
次回をお楽しみに〜
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