世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
細川政元(ほそかわまさもと)は養子の聡明丸(そうめいまる)を正式に細川京兆家(ほそかわけいちょうけ)の嫡男とした。
政元は急ぎ養子を決めたようだった。
話は少し前に戻る。
文亀2年(1502年)夏…
21歳に成長した将軍、足利義高(あしかがよしたか)は自ら政を行いたいと考えていた。
しかし、実権は政元や幕府政所の伊勢貞宗(いせさだむね)に握られており、何もさせてもらえなかった。
義高「貞宗、わしの意見は…」
貞宗「我らにお任せください。」
義高は意見を言う間もなく、政は進んでいたのだ。
さらに政元とは意見の対立することもあった。
義高『わしは将軍という飾り物か…しかし、飾り物なら足利の血筋なら誰でも良いのではないのか…』
義高は政元や貞宗を内心疑うようになっていたのだ。
同年8月4日…
貞宗「政元殿、御所様が岩倉の金龍寺(きんりゅうじ)に入ったまま出てこなくなりました。」
政元「なんと!?引き篭もったと?」
貞宗「我らに意見したいのでしょう。ここは我らが迎えに行くしかありますまい。」
政元「やれやれ…わがままをいうようになった。将軍をすげ替える時期なのかの…」
貞宗「すげ替える?誰に?」
政元「いや…さあ、行きましょいう。」
政元の内にはある人物を次の将軍候補があった。
それは京の実相院(じっそういん)に入っている義忠(ぎちゅう)である。
義忠は政元と明応の政変で対立し、周防に逃げている足利義尹(あしかがよしただ)の異母弟で幼い頃、仏門に入っていたのだ。
政元と貞宗は金龍寺に行き、義高を説得しようとしたが、義高は会わなかった。
貞宗「さてさて…どうしたものか?」
政元「いざとなれば力付くでも…」
その時、1人の金龍寺の僧が書状を持って現れた。
僧「御所様がこれをおふたりにお渡しせよと言われ持ってきました。」
政元「書状?わしと貞宗殿、別々の書状のようだ。」
それは義高から政元、貞宗に宛てた要求書だった。
貞宗は7か条、政元は5か条の要求が書いてあり、政元の5か条には後柏原天皇(ごかしわばらてんのう)様の即位礼の費用、内裏警護などがあったが…
政元はひとつの要求に驚愕した。
政元「これは…」
それは、義忠の処刑と書かれてあったのだ…。
つづく…
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