世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
足利義尹(あしかがよしただ)や畠山尚順(はたけやまひさのぶ)の上洛を阻み、幕府を牛耳る細川政元(ほそかわまさもと)は周りから『半将軍』と呼ばれるほど強い権力を持った。
権力を握った政元であったが、修験道を極めるために相変わらず鞍馬山で修行を行なっていた。
明応9年(1500年)…
政元の忍び、紗奈(さな)が鞍馬山に政元を呼びに行った。
政元は寺の1室に居たが…
その若い武士は政元の家臣、薬師寺元一(やくしじもとかず)だった。
政元「元一、そなたはわしのものじゃ。戦には行かせたくないが…」
元一「殿…殿の気持ちは嬉しく思いますが、私も武士。戦場に立って殿のお役に立ちたいのです。」
政元「嬉しいぞ、河内国の畠山義英(はたけやまよしひで)はまだ幼少。義英を助け尚順を討つ手柄を期待しておるぞ。」
政元は若い元一を衆道の相手としていたのだ。紗奈は複雑な思いだった。
元一は政元の期待に応えて、尚順を破ったのだ。
同年9月29日、後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)様が崩御された。
当時の朝廷は長く続いた応仁の乱の影響で経済的に逼迫しており、後土御門天皇様の御遺体は40日も御所に置かれたままだった。
後土御門天皇の後、帝に即位したのが後柏原天皇(ごかしわばらてんのう)様だ。
朝廷は即位の礼をしようにも費用がなかった。
その状況を見た将軍・足利義高(あしかがよしたか)は、
義高「政元、帝の即位の礼を幕府から献金したいと思うのだが、どうだ?」
政元「なりませぬ。即位の礼を挙げたところで実質が伴ってなければ王と認められない。儀式などせずとも私は王と認めます。こんな状況下で大がかりな即位の礼など無駄にございます。」
義高「そっ、そうか…」
義高は政元の言いなりになるしかなかった。だが朝廷だけでなく、幕府も守護大名も経済的に逼迫していたのだ。
後柏原天皇様が即位の礼を挙げたのは、21年後だった。
権力を握った半将軍の政元であったが悩みもあった。
それは後継ぎのことである…。
つづく…
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