世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
明応8年(1499年)7月…
細川政元(ほそかわまさもと)に家臣・安富元家(やすとみもといえ)から報せが入った。
元家「殿、紀伊の畠山尚順(はたけやまひさのぶ)と越前にいる足利義尹(あしかがよしただ)が京に攻め込む気配があります。」
政元「わかっておる、ただ義尹は千にも満たない兵しかおらぬ。」
政元はこの状況に苛ついていたようだった。
元家「さらに比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の僧兵が義尹と内通している模様。義尹に延暦寺が結ぶと、やっかいです。」
政元「延暦寺め…内通は以前よりしていたようだ。元家!赤沢朝経(あかざわもとつね)と波々伯部宗量(ほうかべむねかず)を呼べ!」
元家「2人に何を?」
政元「延暦寺を攻める!わしの力を見せつけるのじゃ!」
動き出した政元は早かった。
7月11日
政元の命を受けた家臣の朝経と宗量に比叡山延暦寺を攻めたのだ。
「大変じゃ、山が赤いぞ!」
「比叡のお山が燃えとる!」
「延暦寺が燃えているぞ!」
京の民は大騒ぎだった。
朝経と宗量の兵は比叡山延暦寺を攻め、根本中堂・大講堂・常行堂・法華堂・延命院・四王院・経蔵・鐘楼など主要伽藍をことごとく焼いたのだ。
かつて、6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)が比叡山延暦寺を焼き討ちにしたと言われていたが、その時は義教が延暦寺の使節を斬殺したため、延暦寺の僧兵が抗議として焼死自殺を図り、根本中堂が燃えたのだった。
直接、焼き討ちしたのは政元が初めてであろう。
このことを知った義尹は、
義尹「なんと比叡山に火をかけるとは、罰当たりな!魔物の仕業じゃ!だか、こんなことに屈する我ではないぞ!政元から京を奪回して誠実な世を取り戻してやる!」
朝倉貞景(あさくらよしかげ)の加勢を受けれなかった義尹であったが、京を目指し近江国に入った。
そこで義尹は思いもよらぬ奇襲にあったのだ。
奇襲をしたのは、かつて我や義尹に征伐された六角高頼(ろっかくたかより)であった…。
つづく…
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