天狗将軍 〜第82話 越中公方〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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世は争乱…

我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。




明応の政変後、細川政元(ほそかわまさもと)の領地・小豆島に流れる前に越中国に逃亡した前将軍・足利義材(あしかがよしき)はどうなかったか?


コアラ義材さんは嵐の夜に京から逃げたんだよ



足利義材像



越中国は明応の政変で自害した畠山政長(はたけやままさなが)が守護を務める国であり、政長の家臣・神保長誠(じんぼながのぶ)が守護代を務めていた。


神保長誠


長誠は明応の政変の時は中風を患い、越中に帰国していた為、難を逃れていたのだ。



義材は長誠の居城、放生津城(ほうじょうづじょう)に迎えられていた。


放生津城跡


長誠「御所様(義材のこと)、越前の上杉房能(うえすぎふさよし)が参礼の使者を送ってきました。」

義材「東国の権力者、上杉も我に忠誠を誓ったか…」

長誠「これで能登国畠山義統(はたけやまよしむね)、加賀国富樫泰高(とがしやすたか)、越前国朝倉貞景(あさくらさだかげ)、そして上杉…北陸の大名が従いましたな。」


コアラ加賀国は一向一揆衆が支配していて富樫泰高さんは傀儡なんだ



義材「我の京奪還の激が効いたな。よし、これで京を攻められる。」



長誠は正光寺を改装して義材の御所とした。そして義材は越中公方(えっちゅうくぼう)と呼ばれた。




この状況に政元は軍勢を北陸に派遣したが、義材の軍勢に撃退されたのだ。





京の民衆は義材が攻めてくると噂し、公家の中には義材に誼みを結ぼうと密書を送るものもいた。



しかし、政元には焦った様子はなかった。

家臣の安富元家(やすとみもといえ)は政元の様子に焦っていた。


元家「殿、北陸の軍は強大ですぞ!」

政元「強大?冗談を申すな。」

元家「冗談を申してはおりませぬ!朝倉、富樫、能登畠山、越後上杉が義材の味方をしております。」

政元「足利の、しかも前将軍が下向してきたら、挨拶くらいはするであろう。皆、本気で忠誠など誓ってはいない。」

元家「殿は既に調べておりますな?」

政元「わしはかつて越後の上杉殿とは周知の関係だ。上杉殿から報せが入っておる。義材は何も知らぬのだ。」

元家「では、攻めてはこぬと?」

政元「今はな…今は様子を見よう。準備だけはしておけ。」




義材は明応3年(1494年)に挙兵宣言をしたが、明応4年(1495年)になっても明応5年(1496年)になっても挙兵はしなかったのだ。



義材「なぜ、皆は兵を率いてこないのだ⁈…」




政元の言うとおり、北陸の大名は本気で戦をするつもりはなかったのである。

さらに義材陣営内部でも和平派と主戦派と分かれており、まとまってはいなかった。


義材「このままでは何も進まぬ…。」



義材は次の手を打つのであった。





一方、京の政元は修験道をますます励むようになっていた…。







つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜








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