世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
話は前後するが…
「攻めよ!!」
明応2年(1493年)10月、関東で戦が起きた。
将軍・足利義高(あしかがよしたか)の異母兄で力尽くで伊豆の堀越公方・足利茶々丸(あしかがちゃちゃまる)を駿府の興国寺城主・伊勢盛時(いせもりとき)が攻めた。
茶々丸は義高の母と同母弟を殺し、堀越公方の座を奪い取っていた。
義高は還俗する前から、茶々丸討伐を願っていたのだ。
義高「政元(まさもと)、母と弟の仇を討ってくれ!」
政元「既に手は打ってあります。」
政元は、既に伊勢盛時に茶々丸討伐を命じていたのだ。
盛時の伊豆討ち入りの報せを聞いた政元は、
政元「盛時、ようやく動いたな…関東は盛時に任せよう。」
しかし、伊勢盛時が本当に関東を支配する戦国大名になるとは、政元の思いもよらぬことだった。
翌年、明応3年(1494年)12月、義高が正式に将軍宣下を受けた頃、阿波国守護・細川義春(ほそかわよしはる)が亡くなった。
義春は山城国一揆の国人衆を味方に付けて山城国守護を望んでいたが、政元が反対をし、結果、山城国守護は伊勢貞陸(いせさだみち)が任じられた。
義春「くそっ!政元め!同じ細川一門でありながら…」
その後、義春は阿波国に帰国し亡くなったのだ。
政元はその報せを紗奈(さな)から聞いた。
政元「義春が亡くなったか…やつは前将軍・義材(よしき)に付いており、危険だった。」
紗奈「はい…御命令のとおりに…」
義春は帰国して1ヶ月足らずで亡くなった…暗殺か病没か…とにかく政元の政敵が1人消えたのだ。
阿波国守護の細川家は義春の長男・之持(ゆきもち)が継いだ。
一方、北陸に逃亡した義材は越中国にいた…。
つづく…
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