世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
明応元年(1492年)12月、六角征伐を終え、第10代征夷大将軍・足利義材(あしかがよしき)は京に凱旋した。
六角高頼(ろっかくたかより)は討ち取ってはいないけど近江、甲賀、伊勢から追い出したんだよね
細川政元(ほそかわまさもと)は義材に拝謁すべく、御所に行った。
そこで…
「御所様(義材のこと)は今、お忙しいのです。用は私が聞いておきまする。」
政元「此度の戦の勝利のお祝いに参上いたしました。」
光忠「斯波(しば)、武田(たけだ)、赤松(あかまつ)の活躍で勝ちましたな。これも御所様の御威光によるもの…細川殿の軍は逃げてばかりでしたね。」
政元「…これは申し訳ごさりませぬ。御所様には今、何をなされてますか?」
光忠「いずれ、お達しはあると存じますが、来年には河内に遠征になる様子。」
政元「河内…」
光忠「御所様の意にそぐわない畠山義豊(はたけやまよしとよ)征伐です。
畠山氏は畠山政長(はたけやままさなが)さんと畠山義就(はたけやまよしなり)さんの2つで家督争いが続いていて義就さん亡き後が義豊さんなんだよ
この時、畠山義就(はたけやまよしなり)は延徳2年(1491年)に病没し、後を継いだのが子の義豊だった。
政元は内心、思った。
『やはり、そう動くか…』
政元は自邸に戻ると、赤松政則(あかまつまさのり)が待っていた。
政則は政元の姉・洞松院(とうしょういん)と談笑していた。
政則「おぉ、政元殿、勝手に上がらして頂きました。」
政元「なんの、お二人で何を話されていたのかな?」
洞松院「いえ、たわいも無い話ですよ。」
政則「洞松院殿にわしの愚痴を聞いて頂きました…何やら話して楽になりました。」
洞松院「それはよかった…では、私は席を外します。」
政元は目を細めて洞松院を見送った。
政則「洞松院殿はとても話し易く、ついつい喋り過ぎた…。」
政元「政則殿、姉をもらってくださらぬか?」
政則「なんと…洞松院殿は仏門の身ではごらさぬか」
政元「還俗いたしたす。姉もそれは承知です…ここで細川と赤松、縁続きになりとうごさます。」
政則「政略結婚ですな…縁続きになり、御所様を討つと?」
政元はうなづいた。
政元「先ほど、御所にお伺いに行きましたが御所様に会うこともできませんでした。」
政則「葉室が邪魔しましたな…御所様は側近を置いて我ら諸大名を遠ざけてる気がします。」
政元「来年には河内に遠征の予定。また戦に大名は駆り出されます。」
政則「なんと!?喜んでいく大名は畠山政長(はたけやままさなが)くらいですぞ。」
政元「だからこそ、我らが結びつくのです。討つことまでせず、辞めさせたいのです。」
政則は政元の目をジッと見た。
政則「わかりました。政略結婚とはいえ、わしは洞松院殿を気に入りました。嫁に迎えます。わしの愚痴をまた聞いてもらいましょう。」
政元「政則殿、よろしくお願いします。」
こうして洞松院は還俗し名を元のめしに戻し、赤松政則に嫁ぐことになったのだ。
実際に嫁いだのは翌年の明応2年4月なんだ
明応2年正月、義材は畠山義豊討伐の大号令を発し、諸大名に出兵を要請したのだ…。
つづく…
次回をお楽しみに〜
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