世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
細川政元(ほそかわまさもと)は我が母、日野富子(ひのとみこ)の居る元小川御所に行った。
小川御所は将軍義材(よしき)の父・足利義視(あしかがよしみ)に壊されたんだよね
破却された小川御所には富子の居間は壊されず残っており、富子はそこに住んでいた。
富子「政元殿…来ましたか…」
富子は幾分やつれた感じを政元は受けた。
政元「御所様(義材のこと)率いる幕府軍は近江で六角(ろっかく)を追い詰めておりまする。」
富子「それは聞いております。義材は自らの力を見せつけたいのでしょう。」
政元「はい、我が細川は負けてばかりですが…」
細川軍は政元さんの家臣・安富元家(やすとみもといえ)さんが率いているんだよ
富子「…政元殿、細川軍の力を温存してますね?」
政元「…それは…」
政元はドキッとした。
富子「それは義材を排除するためでしょう。私にはわかります。」
政元「お見通しでしたか…」
富子「そなた、義尚から政を託されたでしょう?…足利にはその力はもうないと。」
政元はさらに驚愕した。まさにその通りだったからだ。
富子「私も同じ思いなのです。我が夫、義政(よしまさ)公の時代から足利の力は陰りを見ていました。義尚も将軍になり、それを感じたのでしょう。」
政元「義政公は自らのご存命中は動くなと言われ、後は好きにしてよいと言葉を残されました。」
富子「義材は自らの力を誇示するためにさらに戦をするでしょう。それは民のためになりませぬ。応仁の乱で苦しんだ私には今は民を守ることこそが政。それを義材はわかっておりませぬ。」
政元「大御台様(富子のこと)も此度の戦は反対されていたとか…」
富子「はい、されど義材には聞き入れてくれませんでした…政元殿、私はそなたを支持します。」
政元「…ありがとうございます。」
富子は老いたとはいえ、幕府に大きな影響を与える人物、政元はその後ろ盾を得たのだ。
富子「政元殿、民の声を大切にする…それを約束しなさい。」
政元「わかりました。」
富子「任せましたよ…それと、そなたは九条家より養子を迎えたとか。」
政元「はい、九条政基(くじょうまさもと)の子を我が子としました。」
富子「後継ぎは争いの元になります。その争いは政にも差し障りがあります。そこは慎重に考えるのですよ。」
政元「…はい。」
政元は簡単に返事をしたが、この事が後に政元に大きくのし掛かってくることになるのだ。
延徳4年改め元号が代わり明応元年(1492年)10月になり、義材(よしき)は自ら出陣し、六角征伐を進めた。
六角高頼(ろっかくたかより)は甲賀から伊勢に逃げたが、そこで伊勢の北畠氏(きたばたけし)の攻撃を受け潰走したのだ。
義材「六角め、もはやこれまでだな。」
義材はこれ以上の深追いはせず、陣を引き払い、12月に京に凱旋したのだ。
前回の六角征伐で義尚さんが長く陣を引いたことを踏まえて、さっさと引き払ったんだね
政元は事を確実にするために、もうひとつ動き出した。
政元は自らの姉・洞松院(とうしょういん)に会いに行った。
政元「姉上、お願いがございます。」
洞松院「なんです?改まって」
政元「還俗してほしいのです。そして…赤松政則(あかまつまさのり)殿に嫁いでほしいのです。」
洞松院「なんですって!?」
つづく…
次回をお楽しみに〜
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