世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
「最後の出陣…そなたと一緒で…嬉しかった…。」
長享3年(1489年)3月26日、我は死んだ。
細川政元(ほそかわまさもと)は我を抱き、陣まで運んでくれた。
我が母、日野富子(ひのとみこ)は…
富子「…義尚、起きなされ。いたずらにこの母を騙してはなりませぬぞ。母はわかっておる。こうして母を困らせようとしているのであろう………義尚!義尚!うっううぅぅぅ!」
富子は泣いた。物言わぬ我の胸で泣いた。
その後ろに我が側近・結城尚豊(ゆうきひさとよ)らがいた。
尚豊「御所様、無理に出陣するから…もうじき足利義材(あしかがよしき)様が来られるというのに。」
政元は尚豊の言葉を聞き…
バキッ!!
尚豊を殴ったのだ。
政元「貴様ら、御所様のこと、何もわかっておらぬ。何も…」
尚豊「ひいぃぃ〜」
尚豊はこの後、近江国の守護を解任された。そして…その後の動向はわからず消えたそうだ。
政元「大御台様(富子のこと)、御所様と一緒に京へ帰りましょう。」
富子「…政元殿。」
政元「御所様は勝ったのです。六角を征伐したのです。堂々と帰りましょう。」
富子「政元殿…ありがとう…。」
我の遺体は政元や富子に護られて京へ帰った。
さながら凱旋将軍のような隊列であったという。
こうして六角征伐は終わった。
政元は我の最後の言葉を思い出していた。
「将軍になるのだ…」
政元『義尚様亡き後…どうすべきか…』
我に変わって六角征伐の大将にと頼まれていた義材とその父、足利義視(あしかがよしみ)は我が亡くなったことの報せを美濃で聞いた。
義視「義尚が亡くなったか…これで次の将軍はそなただ。」
義材「父上、まだ決まったわけではござりませぬ。」
義視「大御台の富子もそなたを推挙するはず。心配致すな。京へ向かうぞ。」
しかし、義視・義材はすぐには京へ入れなかった。
政元が2人の入京を反対したのだ…。
つづく…
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