世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
長享元年(1487年)9月、我は2万2千もの大軍勢をもって近江国の六角高頼(ろっかくたかより)征伐に出陣した。
高頼は自らの居城、観音寺城から甲賀に逃れた。
観音寺城は標高432mのきぬがさ山の山上にある山城なんだよ
義尚「高頼め、逃げても無駄だ!甲賀まで追いつめて討つのだ!」
我は軍勢に命じた。
しかし、六角勢は小軍勢で奇襲、待ち伏せといった思いもよらぬ戦法で我が軍勢をかく乱してきた。
いわゆるゲリラ戦ってやつだね
さすがの細川政元(ほそかわまさもと)の軍も苦戦したのだ。
政元「六角は山岳での戦に長けておる。これでは兵を失うだけだ。」
政元だけでなく、他の大名の軍も同じく様子を見出し、戦線は膠着状態となった。
我が鈎の陣(まがりのじん)は先が進まず、我や我が奉公衆は日々酒宴を催したのだ。
翌年、長享2年(1488年)6月、加賀国の守護大名、富樫政親(とがしまさちか)が慌てた様子で我に願いでた。
政親「御所様、我が領国で一向衆による一揆が起きました。」
義尚「何⁉︎一向一揆か…政親が帰らねば治らぬのか?」
政親「はい、されど一向衆を蹴散らして、すぐこちらに戻りますゆえ。」
義尚「うむ〜、政元、仕方ないかの?」
政元「どの大名も領国は大事。仕方ありませぬ。」
義尚「では行って治めてまいれ!」
政親は自らの軍勢と共に加賀国へ入ったのだ。
ところが…
加賀の一向一揆の勢いは凄まじく、政親は自らの居城、高尾城を攻められ自害したのだ。
一向一揆勢は富樫泰高(とがしやすたか)さんを守護に担いだんだ。泰高さんは傀儡だね
この報せを聞き我は驚愕した。
義尚「なんと!!一揆といっても百姓であろう!それに討たれるとは!」
政元「百姓を侮ってはなりませぬ。一揆勢は大軍勢になっていたと聞いておりまする。政親は甘く見たのでしょう。」
この後、加賀は一向一揆勢が支配する『百姓の持ちたる国』になったんだ。織田信長さんが出てくるまでだけど。
義尚「おのれ!我が一向一揆勢を討伐してくれるわ!」
政元「なりませぬ!今は目の前の六角を討つのが先にございます!」
義尚「我は将軍ぞ!我が力を百姓にも見せねばならん…ぐっ…ぐふっ…げふっ!!」
政元「御所様!!?誰か!医師を呼べ!」
我は血を吐き倒れたのだ…。
つづく…
次回をお楽しみに〜
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