世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
文明6年(1474年)6月、細川政元(ほそかわまさもと)と和睦しあ山名政豊(やまなまさとよ)は西軍の諸将を引き連れ我と対面した。
政豊「御所様、ここにいる西軍の諸将は御所様を室町幕府将軍としてお仕え申し上げます。」
義尚「うむ。」
その場には我が母、日野富子(ひのとみこ)と叔父、日野勝光(ひのかつみつ)が同席していた。
勝光「西軍の諸将の皆様はこれまで将軍継承として足利義視(あしかがよしみ)殿を上げていたが…」
政豊「政元殿との和睦により、我らのお仕えする方は御所様と決め申した。これに揺るぎはありませぬ。」
富子「政元殿、これに間違いはありませんか?」
その場に政元も控えていた。
政元「間違いありませぬ。我が細川は山名殿と和睦致しました。」
富子「政元殿…まだ幼いのに、御手柄です。これにより乱の終結ですね。」
西軍諸将「ははっ!」
この場にいる西軍諸将らは我に頭を下げたが…西軍の主力である大内政弘(おおうちまさひろ)や畠山義就(はたけやまよしなり)は反対しており、この場には居なかったのである。
対面が終わった後、政元は政豊と話をしておった。
政元「政豊殿、此度のこと、御礼申し上げまする。」
政豊「我らは和睦したのでござる。当然のことをしたまで。しかし…大内政弘や畠山義就を説得できなかったことは申し訳ない…。」
政元「山名軍と反対派と小競り合いがあるとか?」
政豊は渋い表情をして、
政豊「うむ、抑えていくしかあるまいと思っております。」
政元「我が細川も加勢いたす。いつでも言うてくだされ。」
政元は反対派の主力、大内政弘に会えないものかと考えていたそうだ。
しかし、細川と大内は明国との貿易の覇権を巡って以前から争っていたのだ。
その経緯があり政元を補佐している細川政国(ほそかわまさくに)や紗奈(さな)は反対していた。
政国「殿、大内と会うのは危険でごさりまする。」
紗奈「そうです、山名とは違い、過去の遺恨が大きすぎます。」
政元「……」
その年の7月、反対派の大内政弘、畠山義就は京の北野辺りに放火した。
山名軍は鎮圧にあたり、さらに政元の細川軍も出陣したのだ。
そこで政元は思わぬ人物に会ったのだ…。
つづく…
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