世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
細川家の当主となった細川政元(ほそかわまさもと)は応仁の乱の終結に向けて和睦すべく西軍の山名家の当主・山名政豊(やまなまさとよ)に密かに寺で会ったのだ。
政元は後見人である細川政国(ほそかわまさくに)と紗奈(さな)を連れていた。
かたや政豊は家臣の太田垣光景(おおたがきみつかげ)を連れていた。
政元「私が細川政元です。」
政豊「それがしは山名政豊と申す。」
まだ幼い政元に対し宗全の孫である政豊はすでに30歳を過ぎた武将。
政豊の家臣の光景は内心、「細川の当主とはいえ、まだ小童ではないか…」と思っていたのだ。
政元「此度はこちらの呼びかけに応じて頂き、礼を申します。」
政豊「乱の終結は我が祖父、宗全の望みではあるが…和睦を望まず戦を続けたいものがまだいるのだ。」
この時、和睦に反対していたのは西軍では大内政弘(おおうちまさひろ)、畠山義就(はたけやまよしなり)、東軍では畠山政長(はたけやままさなが)、赤松政則(あかまつまさのり)らだった。
政豊は難しい表情をしていた…
しかし、
政元「政豊殿!まずは細川、山名の両家が和睦すればよいのです。もう東軍も西軍もない。我らが和睦して乱の終結を宣言するのです。」
政豊「我らだけの和睦で終結しましゅうや?反対するものが荒れるやもしれん。」
政元「我らが和睦し手を携えば、大きな勢力になりまする。それでも荒らすものは、蹴散らすしかありませぬ!」
政元のはっきりした物言いに政豊も光景も驚き目を見開いておった。
政元「乱を終わらせることが我が父・勝元(かつもと)と我が祖父・宗全の願い。いつまでも続ける意味などありませぬ!」
政豊「……そうであった。政元殿には山名の血も流れておる。我らの思いはひとつ!まずは我らが和睦いたそう!」
政元「政豊殿、ありがとうございまする!」
こうして文明6年(1474年)4月、細川、山名は和睦が成立した。
だが、予想どおり和睦に反対した武将らは従うことはなかったのである…。
つづく…
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