諸行無常の世の中…
我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。
1234年8月、後堀河上皇(ごほりかわじょうきょう)様が崩御されました。
後堀河上皇様は1232年に帝の位をまだ2歳の親王様に譲位されていました。
しかし、元々、病弱だった後堀河上皇様は院政を始めて、わずか2年で崩御されたのです。まだ23歳でした。
泰時はこの報せを家臣の尾藤景綱(びとうかげつな)より聞きました。
泰時「まだ23とお若いのに…」
景綱「京では崩御されたのは隠岐の後鳥羽法皇(ごとばほうおう)様の生霊の祟りではないかと噂されております。」
泰時「生霊!祟り!馬鹿なことを!」
景綱「噂好きの京の公家の話です。気にはなさらないように…」
泰時「しかし、新たな帝の母は九条道家(くじょうみちいえ)殿の娘であったな。」
景綱「はい、道家殿は鎌倉殿である頼経(よりつね)様の御父君でもあります。ますます権力を拡げますな。」
泰時「道家殿の権力は鎌倉あってのこと。それに権力は朝廷内のことだ。」
景綱「はい……うっ…」
バタッ!
景綱がその場に倒れました。
泰時「景綱!景綱!誰か!医師を呼べ!!」
しばらくして景綱は落ち着きました。
泰時「景綱…気分はどうだ?」
景綱「…申し訳ごさりませぬ。殿にお伝えしたいことがごさります。」
泰時「どうした?」
景綱「京の監視は怠らぬよう、そして鎌倉の味方だと公言する公家ほどご注意ください。」
泰時「うむ…わかった。」
景綱「私の後、北条家の家令には長崎次郎(ながさきじろう)を推薦します。」
泰時「次郎はそなたとともに永きに渡り、わしに仕えてくれておる。そのつもりだ。」
景綱「ありがとうございます。私は殿の家臣でよかった…。」
景綱は1234年9月に亡くなりました。
景綱の遺言どおり、北条家の家令には長崎次郎…改め平盛綱(たいらのもりつな)が付きました。
1235年になり…後鳥羽法皇様が京に帰ってくる噂が立ったのです…。
つづく…
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