諸行無常の世の中…
我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。
1226年、鎌倉殿である藤原頼経(ふじわらのよりつね)様が正式に征夷大将軍(せいいたいじょうぐん)になりました。
藤原頼経
頼経様は新しく建てられた宇都宮辻子(うつのみやずし)の御所に入りました。
そして、頼経様の前に泰時と時房(ときふさ)の両執権、そして11人の評定衆が勢揃いしたのです。
泰時「鎌倉殿をこの御所に迎え、今、新たな政が始まった。ここにいる皆で鎌倉殿を支えていきましょうぞ!」
将軍独裁時代から一転し、合議制を敷く政を発足したのです。
泰時の家宰・尾藤景綱(びとうかげつな)は前執権の義時(よしとき)時代のように執権独裁にしないのかと質問しました。
泰時「執権はあくまで鎌倉殿…将軍あっての職だ。最高権力者は鎌倉殿。この主従関係を保たねば幕府はまとまらん。それをわしが見本とならねばならん。」
泰時の姿勢を見て、周りのものも見習うようになっていったのです。
泰時には京の六波羅探題(ろくはらたんだい)・時氏(ときうじ)の他に子がいます。
次男は泰時と継室・佐奈子(さなこ)の子で時実(ときざね)といいます。
泰時「時実、そなたは14歳。これから鎌倉殿を支えていく武士にならねばならん。」
時実「はい、父上。私に何かお役目を頂けませぬか?」
泰時「うむ、そのつもりだ。明日より、そなたは鎌倉殿の側近として仕えよ。」
時実「鎌倉殿の!これに優るお役目はありませぬ。父上、ありがとうございます。」
一方で泰時は三浦義村(みうらよしむら)の嫡男・泰村(やすむら)に自らの娘を嫁がせ、北条と三浦の縁を強くしたのです。
翌1227年、泰時に不幸が訪れたのです…。
つづく…
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