諸行無常の世の中…
我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。
「承久の乱」の後、京の六波羅探題に着いた泰時は西国の統率を行なっていました。
乱で後鳥羽法皇(ごとばほうおう)様方に付いた公家や武士から約三千箇所の所領が没収されました。
この所領には幕府方の御家人たちが新たな地頭に着き、移住しました。
泰時「没収したのは、ほとんど西国の地。」
時房「これらに新たな地頭として御家人たちが移住…まさに大移動ですな。」
泰時「幕府が監視する新たな地、引き締めていかねばなりませぬ。」
1222年、土御門定通(つちみかどさだみつ)に嫁いでいた私には子が授かりました。
この子は後の土御門顕親(つちみかどあきちか)です。
私は幸せな時を過ごしていました。
翌1223年、「承久の乱」後、京で院政をしていた後高倉院(ごたかくらいん)がお亡くなりなりました。
泰時「院がお亡くなりなりました。」
時房「朝廷にはおかしな動きはないですな。」
泰時「うむ。朝廷の監視はしっかりしていかねばなりませぬ。」
泰時は「承久の乱」のようなことが再び起きぬよう、六波羅探題の職務を遂行していたのです。
一方、鎌倉…
執権の義時(よしとき)は官位を返上し無官となっていました。
義時は京からの報せで知る泰時らの仕事振りを目を細めていました。
義時「泰時、立派な政をしておる……うっ…」
バタンッ!
義時はその場に突然倒れたのです…
「義時様、義時様ぁ!誰かぁ!!」
1224年7月、泰時の元に鎌倉から急な報せが入りました。
それは義時が亡くなった報せでした…。
つづく…

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