白の執権 〜第61話 足利にて〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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諸行無常の世の中…

我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。



1206年秋になり泰時は家臣2人を連れ、東国諸国廻りの旅に出ました。

コアラ家臣は尾藤弥助(びとうやすけ)、長崎次郎(ながさきじろう)の2人。あっ、2人はこの物語の創作だよ。



泰時「2人とも、その山伏姿、似合っておるぞ」

弥助「殿もお似合いでございます。」



泰時は正体を隠すため、山伏姿に身を変え修験者と偽り、旅をすることにしました。



泰時らは武蔵国を超え、下野国(しもつけのくに)に入りました。


コアラ下野国って今の栃木県辺りだね。鎌倉は相模国にあるんだよ。




次郎「殿、下野はどこに行きますか?」

泰時「まずは足利荘(あしかがのしょう)へ行こう。」

弥助「足利荘といえば御家人ね足利氏(あしかがし)の本拠地ですね。」

泰時「うむ、現在の足利の当主・足利義氏(あしかがよしうじ)殿。今は鎌倉に在中しておるが、足利の発祥の地がどんなところか見ておきたい。」


足利三代目 、足利義氏



泰時らは足利荘に入り、ある館の御堂に向かいました。


弥助「殿、ここは足利様の館では?」

泰時「そうだ。この御堂にお詣りをさせてもらおう。」



この御堂が後に足利氏の菩提寺である鑁阿寺(ばんなじ)でした。

現在の鑁阿寺の山門



その時、足利の館から1人の武士が出てきました。


泰時「もし…我ら旅の修験者。ぜひ御館にある御堂をお詣りしたいのですが…」

武士「ほぅ、こちらの御堂をご存知か?」

泰時「足利様の先代様が建立されたと聞きました。」


コアラこの鑁阿寺は足利2代目の足利義兼(あしかがよしかね)さんが建立したんだよ。



泰時らはその武士の案内されました。

武士「こちらです。」


現在の鑁阿寺の本堂



泰時らはお詣りを済ませ、本堂を出ると先ほどの武士が待っていてくれました。

泰時「ご丁寧にご案内して頂き、ありがとうございます。」

武士「なんの、お役に立てましかな。御名は?」

泰時「これは申し遅れました。我は…金剛坊と申します。」


泰時はとっさに自らの幼名で名乗りました。


武士「金剛坊殿…わしは足利義兼が長男、義純(よしずみ)です。」



その武士は長男ながら足利の当主にはなれず、畠山重忠(はたけやましけただ)の未亡人を妻とした畠山義純(はたけやまよしずみ)だったのです…。





つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜






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