諸行無常の世の中…
我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。
泰時が伊豆から帰ってきた頃、一大事が起きました。
それを発したのは我が父、義時(よしとき)でした。
義時「宇都宮頼綱(うつのみやよりつな)は此度の北条時政(ほうじょうときまさ)の謀反に加担した疑いがある!」
義時は大江広元(おおえのひろもと)、安達景盛(あだちかげもり)らと協議しました。
その席に同じ下野の小山朝政(おやまともまさ)が召し出されていました。
朝政「わしに頼綱殿を討てと?」
広元「同じ下野。先陣を切って頂きたいが…」
朝政「……わしは頼綱殿とは義兄弟の間柄。確たる証拠もなく、これを討てましょうや?」
義時「見過ごすということか?」
朝政「攻めてきたら反撃するが…その前にわしが謀反か否かを直に確かめて参る。」
朝政の言葉に一同も納得し、朝政からの報せを待つことになりました。
数日後、朝政が頼綱の書状を持ってきました。そこには謀反の意思はなく、出家すると書いてあったのです。
広元「ここまでされては討つことはできませぬな、義時殿。」
義時「…うむ。」
一連の流れを見て泰時は時政の言葉を思い出していました。
『義時は腹黒いわ!』
『鎌倉は腹黒い御家人ばかりじゃ』
宇都宮氏を討てなかった義時は自らの力の無さを痛感していました。
義時『御家人どもの力を削がねば…』
1206年になり、泰時の異母弟である次郎(じろう)が元服しました。
名を朝時(ともとき)と改めたのです。
さらに義時は時政が居た名越邸を朝時に与えました。
泰時「よかったの、次郎…いや朝時。」
朝時「はい、兄上。この姿を母上にも見せとうございます。」
泰時の胸中は複雑でした。
義時の正室の子、朝時と前年に生まれた継室の子、四郎(しろう、後の政村(まさむら))。
それが自らの立場を脅かすのではと思い始めていたのです…。
つづく…
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