白の執権 〜第2話 父と母〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

前回まではこちら⬇️


諸行無常の世の中…


我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。



1183年、泰時が北条義時(ほうじょうよしとき)の長男としてこの世に誕生しました。

コアラ泰時さんの幼名は金剛(こんごう)っていうんだ。




母は我が叔母で源頼朝(みなもとのよりとも)様の正室・政子(まさこ)様に仕える侍女をしていた(ひかり)です。

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静岡県伊豆の国市蛭ヶ小島にある源頼朝と政子の銅像


コアラ史実では泰時の母は詳しいことはわからないんだ。光は創作だよ。



父・義時は光をこよなく愛していましたが光は正室にはなることはありませんでした。

義時「光、すまぬ。男子を生んでくれたのに…。」

光「殿、よいのです。私は身分卑しきもの。殿に慕われ子をもうけたことがこの上ない幸せなのですから。」


頼朝様の親戚である北条氏で政子様の弟である義時はしかるべき家から正室を迎えねばならなかったのです。

コアラ頼朝さんは北条を始めとする御家人の力を結集するために御家人同士の家を縁を結ばせていたんだね。



しかし、義時は正室を迎えようとはしませんでした。

正室を迎える場合ではなかった時期でもあったのです。




この頃、頼朝様は朝廷より寿永の宣旨(じゅえいのせんじ)を受けました。これは東国における年貢や官物の納入の役目を与えられることでしたが、頼朝様は朝廷に東国支配を認められたのです。

コアラ寿永の宣旨は頼朝さんから朝廷に出させたんだ。朝廷は頼朝さんに京で滞在している源義仲(みなもとのよしなか)さんを追い出してほしいから頼朝さんの要求に応じたんだよ。



そして頼朝様は自らの弟、源範頼(みなもとののりより)と源義経(みなもとのよしつね)に義仲追討の軍勢を与えたのです。

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頼朝の弟・義経です。




義時は義仲追討軍に加わることになりました。

しかし義時は鎌倉に残していく光と金剛のことが心配でした。


義時「光、わしは明日出立する。お前と金剛のことは姉上に頼んである。」

光「私たちのことは心配なされますな。殿、ご武運を…。」


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北条義時です




義仲追討軍は鎌倉を出立し、翌1184年には京で義仲軍と激突。義仲軍は敗走し義仲は粟津の戦い(あわづのたたかい)で討たれたのです。

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粟津の戦い(粟津は現在の滋賀県大津市辺り)



コアラ義仲さんは北陸へ逃げる途中だったんだけど追討軍に討たれたんだよ。




その報せは鎌倉に伝わり、義時の無事を聞いた光はひと安心しました。




鎌倉では頼朝様が残り、東国経営に専念していました。


戦に出た義時が心配だったのは、この頼朝様だったのです…。







つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜







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