外伝「八幡の武将」〜里見氏との抗争②です。
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1569年、北条氏(ほうじょうし)は越後国の上杉氏(うえすぎし)と同盟を結びました。
これに里見氏(さとみし)の当主・里見義弘(さとみよしひろ)は驚きました。
義弘「なぜだ?ここまで北条を追い込んでるのに!上杉は我らを見捨てるのか⁈ 」
三船山合戦で北条に勝って里見は房総一帯に勢力を伸ばしていたんだよね。
義弘は常陸国の佐竹義重(さたけよししげ)と共に北条に対抗しました。
そんな里見に目を付けたのが甲斐国の武田信玄(たけだしんげん)でした。
この頃、駿河に侵攻していた武田氏は今川氏(いまがわし)に味方をした北条と争っていたのです。
信玄「里見と我らが結べば北条は動きが鈍るだろ。」
1569年、武田と里見は同盟を結びました。
この同盟を甲房同盟(こうぼうどうめい)って言うんだよ。
北条は武田との争いにかかり切り、里見は安堵しました。
ところが1571年、北条氏康(ほうじょううじやす)が亡くなった後、北条の当主・北条氏政(ほうじょううじまさ)は上杉との同盟を破棄し、再び武田と同盟を結びました。
これに義弘はまたまた驚いたのです。
義弘「なんてことだ!我らとの同盟はどうなるのだ⁈ 」
武田と再び同盟するのは亡くなった氏康さんの遺言なんだよ。
しかし、北条は武田との同盟があって里見とは休戦となっていました。
義弘「よかった…。武田が間に入ってくれて北条は攻めてこぬ。」
里見としても北条が武田と同盟したからいって、再び上杉との同盟を復活はできなかったのです。
武田と上杉は敵対状態だったから武田と同盟した里見は上杉とは同盟できないやね。
1574年、再び北条と里見の均衡が崩れたのです…。
つづく。
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