八幡の武将 〜和睦の証し〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

前回まではこちら⬇️




世は群雄割拠の戦国時代

わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。




深沢城(ふかざわじょう)から少し離れた民家で綱成(つなしげ)は武田信玄(たけだしんげん)に会いました。

信玄「久しぶりだな、塩商人…いや地黄八幡(じきはちまん)・北条綱成。」

コアラ綱成さんは以前、相模の塩商人に身を変えて信玄の館で信玄に会ったことがあるんだよね。


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武田信玄



綱成「やはり見抜いておいであったか…。」

信玄「矢文は読まれたか?」

綱成「はい。我らを挑発されていますな。されど、わしはそうは思っておりませぬ。ここらで終わりにしたいと読みましたが…。」

信玄「既に駿河は武田が制圧した。これ以上、北条殿と争っても得はない。わしの目指すところは西だ。」

綱成「西…上洛を目指しておると?」

信玄「うむ。天下を取る、それがわしの道だ。だからこそ北条殿とは手を携える仲でありたいのだ。」


コアラこの時期は織田信長(おだのぶなが)さんが上洛して天下を取ろうとしてるね。

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信長じゃ。天下はわしが取る!



綱成「我が北条とは目指す道が違いまするが…和睦は同意致す。」

信玄「ほう、北条殿の目指すところはいかに?」

綱成「我が北条は早雲(そううん)公以来、民が安心して住める国を目指しておる。」

コアラ早雲さんは元は京にいて将軍付きの役人だったんだけど、京を見限って関東に来たんだよね。



信玄「和睦の意は一致だな。」

綱成「我が主人にお伝え申す。」

信玄「ひとつ、聞きたい。この場所に来て殺されるとは思わなかったか?」

綱成「…信玄殿にその気があるなら、わしが甲斐に行った時にやってたはず。それにわしは簡単にはやられませぬ。」



その時の綱成の気を信玄は強く感じたのです。


信玄「そなたとは同じ陣にいたいものだな。」

綱成「光栄にごさいます。我が軍は数日後、城より退去致す。そして、わしの和睦の証しを置いていきます。それを信玄殿の家臣に与えてくだされ。」

信玄「うむ。わしの頼りになる若武者に与えよう。それがわしの和睦の証しだ。」




こうして綱成は信玄と和睦の約束をしました。





1571年1月16日、綱成は深沢城から退去しました。


武田軍が深沢城に入ると旗指物が残っていました。

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コアラこの旗指物は綱成さんの「地黄八幡」の旗指物だね。


和睦を知らぬ武田軍の兵は、

「綱成は旗指物を置いて行くほど慌てていのだ。」

「武田軍に恐れ、旗指物を置いて逃げおった。」


と笑いました。




しかし、信玄はそれを一喝!


信玄「あれほどの勇将、慌てて逃げることなどありえない。次に戦うことがあれば必死の戦を仕掛けてくるはずだ。この旗指物は…綱成の証しなのだ。」



信玄の言葉が綱成の行動を恥辱ではないことを証明したのです。




そして、信玄は「地黄八幡」の旗指物を家臣の真田幸隆(さなだゆきたか)の次男、真田源次郎(さなだげんじろう)に与えたのです。

コアラ真田源次郎さんは後の真田信尹(さなだのぶただ)さんなんだ。真田幸村(さなだゆきむら)さんの叔父さんだね。





綱成らは足柄城(あしがらじょう)に撤退しました…。







つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜








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