世は群雄割拠の戦国時代。
わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。
深沢城(ふかざわじょう)から少し離れた民家で綱成(つなしげ)は武田信玄(たけだしんげん)に会いました。
信玄「久しぶりだな、塩商人…いや地黄八幡(じきはちまん)・北条綱成。」
綱成「やはり見抜いておいであったか…。」
信玄「矢文は読まれたか?」
綱成「はい。我らを挑発されていますな。されど、わしはそうは思っておりませぬ。ここらで終わりにしたいと読みましたが…。」
信玄「既に駿河は武田が制圧した。これ以上、北条殿と争っても得はない。わしの目指すところは西だ。」
綱成「西…上洛を目指しておると?」
信玄「うむ。天下を取る、それがわしの道だ。だからこそ北条殿とは手を携える仲でありたいのだ。」
綱成「我が北条とは目指す道が違いまするが…和睦は同意致す。」
信玄「ほう、北条殿の目指すところはいかに?」
綱成「我が北条は早雲(そううん)公以来、民が安心して住める国を目指しておる。」
信玄「和睦の意は一致だな。」
綱成「我が主人にお伝え申す。」
信玄「ひとつ、聞きたい。この場所に来て殺されるとは思わなかったか?」
綱成「…信玄殿にその気があるなら、わしが甲斐に行った時にやってたはず。それにわしは簡単にはやられませぬ。」
その時の綱成の気を信玄は強く感じたのです。
信玄「そなたとは同じ陣にいたいものだな。」
綱成「光栄にごさいます。我が軍は数日後、城より退去致す。そして、わしの和睦の証しを置いていきます。それを信玄殿の家臣に与えてくだされ。」
信玄「うむ。わしの頼りになる若武者に与えよう。それがわしの和睦の証しだ。」
こうして綱成は信玄と和睦の約束をしました。
1571年1月16日、綱成は深沢城から退去しました。
武田軍が深沢城に入ると旗指物が残っていました。
和睦を知らぬ武田軍の兵は、
「綱成は旗指物を置いて行くほど慌てていのだ。」
「武田軍に恐れ、旗指物を置いて逃げおった。」
と笑いました。
しかし、信玄はそれを一喝!
信玄「あれほどの勇将、慌てて逃げることなどありえない。次に戦うことがあれば必死の戦を仕掛けてくるはずだ。この旗指物は…綱成の証しなのだ。」
信玄の言葉が綱成の行動を恥辱ではないことを証明したのです。
そして、信玄は「地黄八幡」の旗指物を家臣の真田幸隆(さなだゆきたか)の次男、真田源次郎(さなだげんじろう)に与えたのです。
綱成らは足柄城(あしがらじょう)に撤退しました…。
つづく…
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