世は群雄割拠の戦国時代。
わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。
1569年10月、武田信玄(たけだしんげん)の軍勢は小田原城(おだわらじょう)を包囲、我が北条軍は籠城で対しました。
「相模の塩商人、出てこい!」
武田軍から叫び声が聞こえてきたのです。
氏康「綱成(つなしげ)、あれはお前を呼んでいるのでは?」
綱成「多分そうでしょう。」
「北条は我が甲斐に塩を運ばないとは武士のやることか⁉︎」
「北条は民を大事にするのではなかったのか⁉︎」
武田は北条が今川に呼応して塩止めをしたことを非難したのです。
氏康「綱成、返答をしてやるか?」
綱成「いえ、城から出す挑発行為でしょう。静観しましょう。」
そこへ氏政(うじまさ)が入ってきました。
氏政「父上!武田の軍勢は本当に2万なのでしょうか⁈ 見たところ、もっといるように思えます。」
氏康「忍びの報せでは武田軍は2万だぞ。」
氏政「しかし…。」
綱成「御館様、少ない軍勢を多くいるように見せているのでしょう。旗指物がたくさん出ています。」
氏政「なるほど…。」
氏康「氏政、我が北条も河越で少ない軍勢で十倍の軍勢にも勝った。戦とは兵の数だけではないぞ。」
綱成「武田軍は軍勢の勢いを見せつけてるようです。」
綱成はその経験を氏政や若い武将たちに事あるごとに教えていたのです。
武田軍は小田原城を包囲してから4日目、ついに城下に火を放ちました。
そして退却し始めたのです。
氏康「ついに諦めたか…。」
綱成「そのようにごさいます。しかし、民家を燃やすとは…許せん!」
氏政「父上!このままでは北条の名折れ、追い討ちをかけましょう!」
氏康「なっ、何⁉︎ 」
氏政「既に氏照(うじてる)、氏邦(うじくに)が兵を率いて武田の帰路を襲う備えをしています。2人の軍勢が武田軍を待ち伏せ、我が背後から攻めれば挟み討ちにできまする。」
氏康「馬鹿者!!これが信玄の策だ!」
氏政「策⁈ そんなもの打ち砕いてみせます。では!」
氏政は出陣の準備を進めていきました。
氏康「馬鹿な息子どもが!挟み討ちの策くらい、信玄は見通しておる。くっ…。」
わしは以前より痛みのある足が再び痛みだしていたのです。
綱成「大殿、わたしが参ります。」
綱成は出陣したのです。
そして決戦は三増峠(みますとうげ)で始まりました…。
つづく…
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