世は群雄割拠の戦国時代。
わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。
1565年、わしは関宿城(せきやどじょう)を攻めるべく氏政(うじまさ)、氏照(うじてる)、そして綱成(つなしげ)の子・康成(やすしげ)を従え出陣しました。
その頃、綱成は忍びの美咲(みさき)と共に伊豆国にいました。
綱成のいた場所は深根城(ふかねじょう)の跡地でした。
綱成はある墓の前に立ちました。
美咲「殿、こちらはどなたのお墓で?」
綱成「足利茶々丸(あしかがちゃちゃまる)だ。」
美咲「茶々丸…」
綱成は骨壷を抱えていました。
美咲「殿、その骨壷は…高政(たかまさ)の?」
綱成「うむ。この場所に葬ろうと思ってな。」
綱成はお墓の横に穴を掘り、骨壷を埋めたのです。
美咲「高政は北条家を潰そう暗躍したもの。殿がここまで丁重に扱うとは…。」
綱成「亡くなったものを責めても何もない。今となっては敵も味方もない。恨みを忘れて安らかに眠ってほしいのだ。」
綱成は過去のこととはいえ、北条家が民を惨殺したことで恨みを持つものがいたことに負い目を感じていたのでしょう。
綱成「我が北条家は民を大事にせねばならぬ。早雲公以来の家訓なのだ。あのような殺害は2度と起こしてはならぬ。」
綱成と美咲はお墓に手を合わせました。
綱成は伊豆から玉縄城(たまなわじょう)に戻る途中に急な報せが入りました。
それは関宿城攻めに出陣した北条軍が撤退したというものでした。
綱成「やはり上杉輝虎(うえすぎてるとら)が出てきたか…大殿の予想どおりであった。」
関宿城の簗田春助(やなだはるすけ)の抵抗に加え輝虎の出陣、さらには佐竹(さたけ)からの援軍もあり、わしは撤退をしたのです。
氏康「予想したどおりであった。此度は一旦退いて時を待とう……うっ、」
この頃からわしは自らの体に異変を感じ始めていたのです…。
つづく…
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