八幡の武将 〜両軍出陣〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

前回まではこちら⬇️



世は群雄割拠の戦国時代

わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。



1562年、北条の支城・江戸城(えどじょう)には3人の城代がいました。

コアラ城代って戦国大名の代わりに城や城の周辺の領地を管理する家臣のことなんだよ。


その3人とは遠山綱景(とおやまつなかげ)、富永直勝(とみながなおかつ)、太田康資(おおたやすすけ)です。

太田康資は曽祖父が江戸城を築城した太田道灌(おおたどうかん)であり、自らが江戸城の城主になるのが望みでした。

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太田康資の曽祖父・道灌


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江戸城跡




康資「我はいつになったら江戸城の城主になれるのか…。」

戦での活躍もあった康資は江戸城の城主に中々なれないことに不満を持っていたのです。



そんな康資にある報せが忍びより入りました。

忍び「此度、康資殿の同族・太田資正(おおたすけまさ)が北条を裏切り上杉方に付き、さらには武州松山城(ぶしゅうまつやまじょう)で北条と戦い、里見に逃げたことで康資殿にも責めがあるようです。」

康資「何っ!わしは資正と違い、北条に尽くしてきたではないか!なのに責めを負えと!資正とはわしは関係ないのに!」

忍び「いずれ正式な報せが入るでしょう。」

康資「うう〜、江戸城主にもなれず、挙句の果てには責められるとは…それならばわしも資正同様、里見に入り北条を敵にしてやるわ!」


康資はそう言い、江戸城から逃げたのです。



忍び「……容易いものよの。」

その忍びは変装をし康資に偽りを吹き込んだのでした。





康資は資正と合流し、里見の新たな当主・里見義弘(さとみよしひろ)は上杉輝虎(うえすぎてるとら)からの要請もあり、北条攻めの兵を挙げたのです。

コアラ里見氏は義弘さんが当主になったけど前当主の義堯(よしたか)さんは実権を握っていたんだよ。
輝虎さんは正虎(まさとら)って名前だったけど将軍・義輝(よしてる)さんから一字を与えられて名前を変えたんだ。





玉縄城(たまなわじょう)にいた綱成(つなしげ)は里見挙兵の報せを聞きました。


綱成「此度の康資の裏切りはおかしい。北条に尽くしてきたのに何故この時期に裏切ったのだ?」

美郎(よしろう)「殿、我が手下の調べによると康資は江戸城にてどこかの忍びと会っていたようなのです。その後、江戸城から逃げました。」

綱成「忍び…まさか⁈ 」

美郎「また暗殺者が動いているようなのです。」

綱成「いずれにせよ里見とは決着をつけねばならん。我らも出陣するぞ!」




里見軍は12,000の兵で下総国の国府台城(こうのだいじょう)に入ったのです。


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国府台城跡(現在の千葉県市川市国府台付近)


コアラ国府台は1538年にも北条と里見が戦った場所なんだよ。



わしは下総国の千葉胤富(ちばたねとみ)からの援軍の要請もあり、綱成に出陣を命じ、自らも出陣しました。

北条軍の兵20,000は葛西城(かさいじょう)に入り里見軍と対峙したのです。

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葛西城跡(現在の東京都葛飾区青戸)





綱成が北条軍本隊を率いていましたが、本隊より先走り里見に攻撃した一隊がいたのです…。










つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜











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