八幡の武将 〜奔走〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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世は群雄割拠の戦国時代

わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。



1546年の河越夜戦(かわごえやせん)に勝った北条でしたが、わしにはやらねばならぬことが山積みでした。



わしは亡き父・氏綱(うじつな)から後を継ぐと今川(いまがわ)との河東一乱(かとういちらん)、そして河越夜戦と戦続きで領地経営が後手に回って遅れてしまっていたのです。

コアラ河越夜戦で勝ったから勢力、領地も増えたから、氏康さんは忙しくなったね。




一方、河越夜戦で勝利に功のあった綱成(つなしげ)は戦後の処理に奔走していました。


綱成は河越夜戦で負け、逃げた古河公方(こがくぼう)の足利晴氏(あしかがはるうじ)を追い、古河御所を包囲し降伏させたのです。


晴氏「チキショウ〜!!こんなことなら山内上杉(やまのうちうえすぎ)の誘いに乗るでなかったわ〜!」



コアラ晴氏さん、河越夜戦前は北条に付いていたのに、山内上杉家の誘いに乗って北条を裏切ってしまったんだよね。「後悔先に立たず」だね。



さらに扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)が滅亡し、扇谷上杉家の本拠であった武州松山城(ぶしゅうまつやまじょう)を手にしていた太田資正(おおたすけまさ)を攻め北条のものとしたのです。

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現在の武州松山城跡


コアラ武州松山城は河越夜戦後、一旦は北条のものになったんだけど1547年に太田資正さんが北条の隙を付いて北条から奪ったんだ。それを北条がさらに取り返したんだね。






わしも綱成も忙しい戦後を送っていました。そんな綱成にわしはある贈りものをしました。


小太郎(こたろう)「氏康様の命により綱成様付きの忍びを連れて参りました。」

綱成「わしの忍びとは…。」

小太郎「今だ、氏綱様を暗殺した犯人がわからず、身を案じてのことと存じます。」


さっ!
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そこに現れたのは、女かと思うほどの美しい顔の忍びでした。


小太郎「我が風魔一族の忍び、美郎(よしろう)です。」

美郎「お初にお目にかかります。」

綱成「うむ。」

小太郎「美郎は変幻自在に姿を変えますので、お間違えなきように…。」



その時…


ゴッ…ゴゴッ…ゴゴゴ!

綱成「地震!!!」




1549年、地震が関東を襲ったのです…












つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜















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