世は群雄割拠の戦国時代。
わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。
1546年、わしが出した伝令を理解した河越城(かわごえじょう)に居る北条綱成(ほうじょうつなしげ)は、了解の合図として八幡と書かれた黄色い旗を掲げたのです。
氏康「おおっ、綱成に伝わったようだな。よし!作戦を実行するぞ!」
わしは古河公方(こがくぼう)の足利晴氏(あしかがはるうじ)と山内上杉憲政(やまのうちうえすぎのりまさ)に降伏の詫び状を出したのです。
無論、偽りの詫び状ですけどね。
その詫び状には、
「城兵を助けてくれれば城は明け渡す」
との内容を書きました。
その書状を見た上杉憲政は、
憲政「ワッハッハ、氏康め。泣きを入れてきたぞ。北条は弱気になっておるわ。よし、攻めろ!」
上杉憲政は降伏を受け入れず、我が北条軍を攻めてきましたが、我が軍は交戦せず逃げ出したのです。
憲政「なんじゃ、北条の兵は〜。戦う気はないな。ワッハッハ〜、この戦!楽勝だな〜。」
この様子を河越城から見ていた綱成は城兵に指示を出していました。
綱成「皆、いつでも出陣できるよう備えよ!」
綱成の家臣・関政助(せきまさすけ)はこの状況に不思議でならない様子でした。
政助「殿、氏康様の兵は逃げてばかりで、戦にならないのでは…我らも逃げるのですか?」
綱成「政助!氏康様は逃げ出すような武将ではないぞ。これは臆病であることを見せつけておるのだ。」
政助「臆病を見せつけてる??」
綱成「とにかく攻める備えをして待機しておれ。」
敵軍の山内上杉家(やまのうちうえすぎけ)、扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)、古河公方の足利氏(あしかがし)らは我が北条軍の戦意が低いと感じ、さらには自軍の数が多いことで楽勝気分になっていたのです。
わしは忍びを使い、敵軍の様子を調べさせ、たるみきった様子を知りました。
この時を待っていたのです…!
つづく…
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