世は群雄割拠の戦国時代。
わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。
1538年、我が北条軍は小弓公方(おゆみくぼう)の足利義明(あしかがよしあき)を討ち取りました。
自信過剰な義明さんは自ら出陣してきたところを矢で射られたんだよ。
義明討死の報せを里見義堯(さとみよしたか)は知るや、
義堯「やはりか…兵を退け!この戦は終わりだ!」
里見軍は戦場から離脱し、小弓公方・里見軍は崩壊しました。
里見軍の離脱を見たわしは追い討ちをかけようとしましたが綱成(つなしげ)に止められました。
氏康「綱成、里見を潰すには今が好期だぞ!」
綱成「いえ、里見軍は最初から負けを見越して逃げるに適した場所に陣を敷いていました。」
氏康「すると、里見軍は無傷ということか…。」
綱成「敵の領地深くに入るのは危険です。里見とは再び戦う機会があるでしょう。」
北条軍は義明の居城・小弓城と真里谷氏(まりやつし)の居城・真里谷城を押さえました。
北条に亡命していた真里谷信隆(まりやつのぶたか)は真里谷氏の当主に再び復帰し真里谷城に入りました。
でも真里谷氏はこの戦で2つに分かれて戦って弱体したんだ。そこを後日、里見氏に攻められ領地を減らしたんだよ。
「国府台合戦(こうのうだいかっせん)」と呼ばれたこの戦いを終えたわしや綱成はそれぞれの居城に戻ることにしましたが、そこへめでたい報せが入りました。
それは小田原城(おだわらじょう)でわしの子が誕生したのです。
綱成「氏康様、おめでとうごさいます。2人目の男子誕生とはおめでたいことです。」
氏康「うむ。子は宝。綱成も1人だけでなく、励むのだぞ〜。」
綱成には1536年に男子が誕生していました。後の北条氏繁(ほうじょううじしげ)です。
わしには1537年に長男・西堂丸(せいどうまる)が誕生しており、この1538年に生まれたのは次男となります。
この次男が幼名を松千代丸(まつちよまる)、後の北条氏政(ほうじょううじまさ)です。
氏康さんの子の西堂丸くん、松千代丸くんを産んだのは氏康さんの正室なんだよ。
玉縄城(たまなわじょう)に戻った綱成は城主・為昌(ためまさ)に挨拶に行きました。
為昌さんは氏康さんの弟だね。
綱成「殿、ただいま戻りました。」
為昌「うむ……。」
この時、為昌は病に侵されていたのです…。
つづく…
次回をお楽しみに〜
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