八幡の武将 〜綱成の複雑な思い〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

前回まではこちら⬇️



世は群雄割拠の戦国時代

わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。


1537年、わしや綱成(つなしげ)が扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)の河越城(かわごえじょう)を攻める少し前に我が父・氏綱(うじつな)は兵を出し駿河国に侵攻したのです。


コアラ駿河国は今川氏(いまがわし)の領地なんだ。今川氏の当主・今川義元(いまがわよしもと)さんが甲斐国の武田信虎(たけだのぶとら)さんと同盟を結んだよね。氏綱さん、その同盟に怒って今川氏を攻めることにしたってわけ。


この戦いを「河東一乱(かとういちらん)と言います。我が北条は義元の軍勢を退け河東(富士川より東の地域)を占領したのです。

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※画像はお借りしました。


コアラ氏綱さんは遠江国の豪族とも結んで今川氏を挟み撃ちにして今川氏の戦力を分断したんだ。ちなみに遠江国の豪族には今の大河ドラマ「おんな城主直虎」に出てる井伊氏(いいし)がいたんだよ。まだ、直虎さんが生まれる前の話だけどね〜。


氏綱はこの戦いには綱成は参加させず、扇谷上杉家攻めに専念させたのです。





河越城を落とした後、綱成はわしに本音を少し漏らしたのです。

綱成「今川攻めは私にとっては複雑な思いがあります。かつては我が主君であった今川。それが我が仇の武田と結ぶとは…。」

氏康「綱成は武田を恨んでおるか?」

綱成「……はい。我が父を討った敵ですから。されど恨みだけでは勝つことはできぬと思っております。」







北条が河越城を落としたことを脅威に感じるものがいました。


それは小弓公方(おゆみくぼう)の足利義明(あしかがよしあき)と安房国の里見義堯(さとみよしたか)です。

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里見義堯


この頃、真里谷氏(まりやつし)の内紛で北条と小弓公方・里見氏は対立関係になっていたのです。


コアラつまり、こんな図式になっていたんだよ。⬇️


北条氏、真里谷信隆(まりやつのぶたか)

vs

小弓公方、里見氏、真里谷信応(まりやつのぶまさ)



1538年、氏綱の命で綱成は武蔵国と下総国の境にある葛西城(かさいじょう)を攻めました。


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葛西城跡


葛西城は扇谷上杉家方の城でしたが、綱成の勢いの前に葛西城は落ちたのです。



葛西城が北条のものとなったのを見た小弓公方の義明は怒りに満ちていました。

義明「北条め〜!我らの近くまで来おった。返り討ちにしてくれるわ!」



そして義明と里見義堯は兵を率い、国府台城(こうのだいじょう)に入ったのです…。














つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜