世は群雄割拠の戦国時代。
わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。
1530年の小沢原の戦いで扇谷上杉朝興(おうぎがやつうえすぎともおき)の軍に快勝したわしは小田原城(おだわらじょう)に戻りました。
小田原城には綱成(つなしげ)が玉縄城(たまなわじょう)より来ていたのです。
氏康「綱成!どうしたのだ?いつ来たのだ?」
綱成「これは氏康様。先ほど来ました。御館様に呼ばれたのです。実は…氏時(うじとき)様の余命があとわずかなのです。」
氏康「叔父上が……。」
そこへ氏綱が入ってきました。
氏綱「綱成、来城ご苦労である。氏時のことは聞いた。」
綱成「はい。薬師を常駐させて診させていましたが…申し訳ありません。」
氏綱「綱成のせいではない。命あるもの、いつかは尽きる。致し方あるまい。悲しいことではあるが…氏時の後のことを決めねばならん。」
氏康「父上、玉縄城の城主ですね。我が一門を城主に据えるのですか?」
氏綱「うむ。そのものを綱成に後見してほしいのだ。既にここに呼んでおる。入れ!」
その場に現れたのは1人の少年とその家臣でした。
氏康「彦九郎(ひこくろう)ではないか!」
氏綱「彦九郎が玉縄城に入る。そこにいるのは大道寺盛昌(だいどうじもりまさ)じゃ。綱成と盛昌、2人で彦九郎を後見するのだ。」
彦九郎「綱成、頼むぞ。」
綱成「はっ!かしこまりました。」
氏綱「小沢原では上杉朝興に勝ったが…奴め、その後、岩付城(いわつきじょう)を落としよったわ。まだまだ上杉には油断ならん。」
1531年に扇谷上杉朝興は北条方の岩付城を奪回したのでした。
そして同じ年、玉縄城の氏時が亡くなり、わしの弟の彦九郎が氏時の養子として玉縄城の城主になったのです。
1532年、氏綱は里見氏(さとみし)との戦いで焼失していた鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)の再建を始めたのです。
この再建の現場に綱成はよく顔を出していたのです。
そして身を清めて祈願していたのです…。
つづく…


