八幡の武将 〜後見人の綱成〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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世は群雄割拠の戦国時代

わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。



1530年の小沢原の戦い扇谷上杉朝興(おうぎがやつうえすぎともおき)の軍に快勝したわしは小田原城(おだわらじょう)に戻りました。

コアラこの「小沢原の戦い」は氏康さんの初陣だったんだよね。立派な初陣だったね。


小田原城には綱成(つなしげ)が玉縄城(たまなわじょう)より来ていたのです。


氏康「綱成!どうしたのだ?いつ来たのだ?」

綱成「これは氏康様。先ほど来ました。御館様に呼ばれたのです。実は…氏時(うじとき)様の余命があとわずかなのです。」


コアラ氏時さんは氏綱(うじつな)さんの弟で玉縄城の城主なんだ。


氏康「叔父上が……。」


そこへ氏綱が入ってきました。

氏綱「綱成、来城ご苦労である。氏時のことは聞いた。」

綱成「はい。薬師を常駐させて診させていましたが…申し訳ありません。」

氏綱「綱成のせいではない。命あるもの、いつかは尽きる。致し方あるまい。悲しいことではあるが…氏時の後のことを決めねばならん。」

氏康「父上、玉縄城の城主ですね。我が一門を城主に据えるのですか?」

氏綱「うむ。そのものを綱成に後見してほしいのだ。既にここに呼んでおる。入れ!」


その場に現れたのは1人の少年とその家臣でした。

氏康「彦九郎(ひこくろう)ではないか!」

コアラこの彦九郎くんは氏康さんの5つ下の弟なんだよ。


氏綱「彦九郎が玉縄城に入る。そこにいるのは大道寺盛昌(だいどうじもりまさ)じゃ。綱成と盛昌、2人で彦九郎を後見するのだ。」

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大道寺氏の家紋・揚羽蝶


コアラ大道寺氏は北条氏の祖・早雲(そううん)さんの代より家臣となった御由緒家のひとつなんだよね。


彦九郎「綱成、頼むぞ。」

綱成「はっ!かしこまりました。」

氏綱「小沢原では上杉朝興に勝ったが…奴め、その後、岩付城(いわつきじょう)を落としよったわ。まだまだ上杉には油断ならん。」

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岩付城跡(現在の埼玉県さいたま市岩槻区辺り)


1531年に扇谷上杉朝興は北条方の岩付城を奪回したのでした。


そして同じ年、玉縄城の氏時が亡くなり、わしの弟の彦九郎が氏時の養子として玉縄城の城主になったのです。




1532年、氏綱は里見氏(さとみし)との戦いで焼失していた鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)の再建を始めたのです。


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現在の鶴岡八幡宮



この再建の現場に綱成はよく顔を出していたのです。


そして身を清めて祈願していたのです…。














つづく…
コアラ次回もお楽しみに〜