八幡の武将 〜氏康初陣〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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世は群雄割拠の戦国時代

わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。



1530年、前年に元服した綱成(ほうじょうつなしげ)は父・氏綱(うじつな)に玉縄城(たまなわじょう)に入ることを命ぜられました。

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玉縄城跡

コアラ玉縄城は早雲さんが築いた城。小田原城の守りの役割を果たしていたんだよ。

氏綱「綱成、玉縄城に入るのだ。」

綱成「玉縄城には殿の御弟の氏時(うじとき)様がいらっしゃいますが…。」

氏綱「うむ。実は氏時が病なのじゃ…。」

綱成「なんと⁈」

氏綱「綱成に氏時を補佐してほしいのじゃ。玉縄城は安房国の里見(さとみ)の抑え。さらにはこの小田原の守りでもある重要な城じゃ。」

綱成「かしこまりました。」

氏綱「扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)が動く気配もある。頼むぞ、綱成!」



この頃、北条氏は扇谷上杉家、関東管領・山内上杉家(やまのうちうえすぎけ)、甲斐国・武田氏(たけだし)、上総国・真里谷氏(まりやつし)、小弓公方(おゆみくぼう)の足利氏(あしかがし)、安房国・里見氏の北条包囲網に囲まれていました。包囲網の一部の小弓公方とは和睦、真里谷氏と里見氏とは停戦していましたが気の抜けぬ状況でした。



氏綱は重要な拠点の玉縄城を強化したのです。



1530年6月、氏綱の予想が現実のものになりました。

扇谷上杉家の上杉朝興(うえすぎともおき)が兵を進め、武蔵国の深大寺城(じんだいじじょう)に入ったのです。

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深大寺城跡

コアラ深大寺城は今の東京都調布市にあったんだよ。


氏綱「やはり来たか。深大寺城から多摩川を渡れば我が方も危うい…。」



ここで氏綱はわしに出陣を命じました。

氏綱「氏康!そなたの初陣じゃ。小沢城(おざわじょう)に入るのじゃ。」

氏康「やっとわしの出番、お任せくだされ!」

氏綱「軽々しく動いてはならんぞ。敵は戦の経験豊富な朝興、油断するな。」


わしは兵を率い小沢城に入りました。

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小沢城跡

コアラ小沢城は現在の神奈川県川崎市多摩区にあったんだ。




わしは氏綱の言うことを聞かず、小沢城の麓で扇谷上杉軍と合戦を繰り広げました。


しかし、ここで我が北条軍は負けてしまいました…。












つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜