世は群雄割拠の戦国時代。
わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。
1524年、氏綱(うじつな)率いる北条軍は扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)の武蔵国の江戸城(えどじょう)を奪取、さらには岩付城(いわつきじょう)をも陥としました。
さらに毛呂城(もろじょう)を北条方に付けたのです。
しかし、扇谷上杉家の上杉朝興(うえすぎともおき)も黙っておらず、関東管領・山内上杉家(やまのうちうえすぎけ)の支援を受け、さらに甲斐国の武田信虎(たけだのぶとら)とも結んだのです。
この報せはわしや勝千代(かつちよ)のいる小田原城(おだわらじょう)にも入ってきました。
城下の守りを固めるため、城内は慌ただしくなったのです。
「甲斐の武田はこちらを攻めるかも…。」
「いや、武田と上杉、両方から攻められる!」
「残っている兵を集めよ!」
わしは小田原城の一室で母の珠(たま)と一緒にいました。
この騒ぎにわしは恥ずかしながら驚き、丸くなり震えていたのです。
珠「伊豆千代丸、いかがしたのです?」
伊豆千代丸「いえ…、」
珠「背筋を伸ばしなさい!」
同じ一室にはわしの守役・清水吉政(しみずよしまさ)や小姓たちもいました。
そして勝千代はわしの傍にいました。
勝千代は落ち着いた姿で控えていました。しかし武田信虎は勝千代の父・福島正成(くしままさしげ)の仇。内心はどうだったのでしょう?
勝千代の姿はわしを守っているようだったと母が後に話してくれたのです。
武田信虎は上杉朝興の要請により岩付城を攻め落しました。
氏綱は朝興と和議を結び、毛呂城を引き渡したのです。
氏綱「…致し方あるまいが一時の和議じゃ。必ず取り返してみせるぞ!」
1525年、氏綱は和議を破り、再び岩付城を攻め奪還したのです。
しかし、これが逆に北条氏を危機に追い込まれることになったのです…。
つづく…

