その①〜③はこちら⬇️
1541年、北条氏(ほうじょうし)は氏綱(うじつな)が亡くなり、氏康(うじやす)が後を継ぎました。
1545年、今川義元(いまがわよしもと)は北条氏に奪われていた河東の地を取り返す行動に出ました。
義元は関東管領・山内上杉家(やまのうちうえすぎけ)と扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)と連携し挙兵したのです。
氏康は駿河に出陣しましたが今川勢に苦戦、その頃、山内上杉家と扇谷上杉家は古河公方の足利晴氏(あしかがはるうじ)と共に大軍で北条氏の河越城を包囲したのです。
河越城包囲の報せを聞いた氏康は東西に挟まれ絶対絶命。
この時、助け船を出したのが甲斐国の武田晴信でした。
晴信の斡旋で氏康は今川氏と和睦したのです。
西が治まった氏康は東の河越城へ駆けつけ、山内上杉家、扇谷上杉家、古河公方の大軍八万に一万余りの兵で討ち破りました。
これが有名な河越夜戦(かわごえやせん)と呼ばれる戦いです。
北条氏は河越夜戦で関東で勢力を拡大しました。
今川氏とは1554年に武田氏を含めた甲相駿三国同盟(こうそうすんさんごくどうめい)を結んだのです。
振り返ると、早雲が戦国大名になり関東進出のきっかけとなった今川氏との関係は年月とともに難しくなっていましたね。
北条氏と今川氏との関係に武田氏が常に絡んでいるのが地理的な状況を物語りますね。
早雲「難しい世になったものじゃ。しかし我が北条は民を大切にするのが最優先じゃぞ。」
外伝「民の御館様」〜今川氏との関係〜完




