私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。
(早雲は伊勢早雲(いせそううん)と名乗っています。)
1505年、越後の援軍を得た関東管領・山内上杉家(やまのうちうえすぎけ)の上杉顕定(うえすぎあきさだ)殿の反撃を受け、扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)の上杉朝良(うえすぎともよし)殿はついに降伏しました。
この報せを伊豆国韮山城で早雲は聞いたのです。
早雲「やはり、わしの不安したことが現実となってしまった。」
氏綱(うじつな)「父上、関東管領の軍はこちらに攻めてきますか?」
早雲「…わからぬが、備えは万全がよい。氏綱、そなたは小田原城に入るのだ。兵を固めておけ!」
氏綱「はい!では早速に!」
しかし、関東管領・上杉顕定殿は戦後の処理に追われ、攻めてはきませんでした。
上杉朝良殿の降伏により19年続いた山内上杉家と扇谷上杉家の争い、長享の乱は終結したのです。
早雲は小田原城へ入り、相模国の領地の検地(けんち)を行なったのです。
早雲は検地が行なわている状況を見回りましたが、民から声をかけられることが多かったようです。
「御館様、存分に調べてくだされ。」
「御館様が領主様になって、わしらはやり易くなったんだ。」
「御館様、わしの畑で採れた作物だ。食べてくだされ。」
早雲が行なった四公六民などの善政により、民から早雲は慕われ、民は検地には素直に従ったのでした。
早雲「相模の民のためにも相模一国を平定せねば…。」
決意を新たにした早雲は私を僧籍に入れ、箱根山の箱根権現(はこねごんげん)に入れたのです。
相模国の支配を狙っている早雲は箱根権現を抑えておくために私を入れたのです。私はまだ菊寿丸(きくじゅまる)と名乗っている時でした。
早雲「よいか、菊寿丸。箱根権現は関東の武士が守護神として崇拝しておる。その箱根権現に入るのだから、精進するのだぞ。」
菊寿丸「はい、父上。」
早雲が着々と足元を固めている頃、またしても関東管領・山内上杉家で騒動が起きていました…。
つづく…

