民の御館様 〜不穏な伊豆国〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。
(早雲は最初は伊勢新九郎盛時(いせしんくろうもりとき)と名乗っています。)


1489年、京で室町幕府第9代将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)様が亡くなり新たに足利義材(あしかがよしき)を将軍として幕府に迎えた頃、駿河国の盛時は男子を授かったのです。


母は正室の陽子(ようこ)で幼名を新六郎(しんろくろう)、後の北条氏時です。



興国寺城(こうこくじじょう)と新たに男子を得た盛時は勢いに乗っていました。



そんな興国寺城は駿河国の東、伊豆国の国境に近い場所にありました。





そんな伊豆国は堀越公方(ほりこしくぼう)の足利政知(あしかがまさとも)様が支配していました。


コアラ政知さんは8代将軍の足利義政(あしかがよしまさ)さんの異母弟なんだ。本来は鎌倉公方だった足利成氏(あしかがしげうじ)さんが享徳の乱を起こし古河に移り古河公方となった後、鎌倉に入って鎌倉公方になる予定だった。でも古河公方の成氏さんの力が強くて鎌倉に入れず伊豆の堀越に留まり、堀越公方って呼ばれたんだよ。ややこしいね。



享徳の乱が終わり幕府と成氏様が和睦、政知様の支配は伊豆一国だけとなったのです。

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堀越公方のいた堀越御所跡


そんな政知様は長男の茶々丸(ちゃちゃまる)様を廃嫡し、三男の潤童子(じゅんどうし)様を後継ぎに決めたのです。


茶々丸様は素行が悪く、政知様に捕らえられ土牢に軟禁されていたのです。

コアラちなみに政知さんの次男は出家して清晃(せいこう)様と名乗って京にいたんだ。この清晃さん、後に将軍となる足利義澄(あしかがよしずみ)さんだよ。


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清晃こと足利義澄です。私と潤童子の母は同じですよ。



盛時はこの伊豆国の堀越公方の動きに注目していたのです。

盛時「小太郎(こたろう)!伊豆から目を離さすな!」

小太郎「何か起きると思ってるね?」

盛時「うむ。堀越公方・政知様は子の清晃様を将軍候補にしたくらいだ。騒ぎが起きる気がするのだ。」

小太郎「まかしといて!盛時様。」




1490年、8代将軍義政様が亡くなりました。義政様は盛時の父・盛定が仕え盛時も関係深い将軍だったのです。


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足利義政です。私は政治面より銀閣寺に代表される東山文化で評価されたんだ。




そして翌1491年、盛時の予想どおり伊豆で事件が起きたのでした…。












つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜