私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。
(早雲は最初は伊勢新九郎盛時(いせしんくろうもりとき)と名乗っています。)
将軍職を退いた足利義政(あしかがよしまさ)様は小河に建設した新邸に移り、趣味の庭園造りに没頭したり酒宴を開いたりしていました。
「京の街が焼け野原になっているのに…、意見を申し上げねば!」
盛時は義政様の行動に怒り心頭でした。この頃、盛時の父・盛定(もりさだ)は病がちになり将軍申次職を退きました。
その盛定の助力で盛時は義政様の元へ行きました。
義政「盛定の息子であったな。いかがいたした?」
盛時「義政様、今の京の状況は酷いものです。辺り一面焼け野原、焼き出された民は行くあてもなく…。」
義政「わしはもう将軍ではない。将軍に言えばよいだろう。」
盛時「恐れながら…義尚様はまだ幼少。義政様が動かねば何も変わりません。」
義政「…わしには何もできぬ。わしも将軍になった頃は世を良くしようと尽力したが、周りは己れの欲のためしか、わしを利用しなかった。守護大名らも、側近も、我が妻も…。」
盛時「しかし…。」
義政「もうよい!わしはそんな話、聞きたくないわ!下がれ!」
盛時はただ呆れるしかありませんでした。
この次第を聞いた盛定は言いました。
盛定「義政様はもう世を捨てておる。お若い頃はああではなかったのた。今のそなたのようにやる気になっておったが…。」
盛時「この先、幼少の将軍様では戦は終わらず世は治りません。」
盛定「将軍・義尚様には義尚様の母、日野富子(ひのとみこ)様が付いておられる。仕切られるのは富子様であろう。」
しかし、応仁の乱は終わらず…時は流れました。
そして1476年、盛時にとって一大事件が起きます。
盛時の義弟、駿河国の守護大名・今川義忠(いまがわよしただ)殿が死んだのでした…。
つづく…


