私は北条早雲の子・幻庵です。
(早雲は最初は伊勢新九郎盛時と名乗っています。)
将軍・足利義政様が追放されていた伊勢貞親殿を呼び出したことで足利義視様は孤立感を感じ、出奔してしまいました。
義視様の近侍である盛時はいつの間にか出奔した義視様に取り残されいたのです。
盛時「義視様は東軍の大将なのに出奔するとは、無責任な…。」
義政様や東軍の指揮官・細川勝元殿は義視様を京に戻るよう説得する為に盛時を義視様の元へ遣わしたのです。
伊勢国にいた義視様に盛時は会いました。
盛時「義視様…あなた様は将軍後継者で東軍の大将です。義視様がいなければ皆困るのです。」
義視「…そんなことはあるまい。将軍後継者は兄上の子・春王だろう。私は既に必要のない存在だ。」
盛時「何を弱気な!義視様が主導して乱を治めればいいのです。だからこそ、御所様(義政様のこと)も勝元殿も義視様を必要としているのです。」
盛時は必死で義視様を説得しました。
説得の甲斐があって義視様は京へ戻ってきたのです。
ところが京に戻った義視様は義政様と対立、義政様は義視様の嫌いな伊勢貞親殿を幕政に復帰させたのです。
さらには細川勝元殿からは再び僧になるように勧められたのです。
義視「誰も私を厄介者としている。やはり私はここにいるべきではない…。」
1468年に義視様は比叡山延暦寺に出奔しました。
そんな義視様を西軍が迎え入れたのです。
盛時は義視様には付いていかず東軍陣営にいました。
盛時「何なんだ、この状況は⁈ 誰もかれも皆、己の欲に走っているだけではないか…。」
戦は続き、京は焼け野原に化しました…。
つづく…

