外伝・「俺らは義満の子」その後② | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

「俺らは義満の子」のその後②です。

その後の①はこちら⬇️



1467年に始まった「応仁の乱」は、なんと11年も続きました。


コアラハッ11年ってそんなに長い間、戦をしてたの〜。

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この乱で京の街は壊滅的な被害を受けました。



この乱の間、将軍の足利義政は何をしていたか?


義政は細川勝元率いる東軍、山名宗全率いる西軍、どちらにもつかず中立を保っていましたが、戦を止めることもできず、宴会を開き酒を飲んでいることもあったそうです。


コアラムカムカ戦の最中にお酒飲んでるなんて、無責任過ぎる!



関東では「応仁の乱」より以前の1454年に戦が起きていました。

鎌倉公方の足利持氏の遺児・足利成氏と関東管領・上杉氏との戦いに端を発した「享徳の乱」です。

コアラこの時の上杉氏の当主は「俺らは義満の子」にも登場した上杉憲実さんじゃなく子の上杉憲忠さんなんだ。
憲実さんは出家して旅に出て山口で亡くなったんだよ。



この「享徳の乱」は関東一帯で起き、終結まで30年かかりました。


コアラくるくる30年って、かかりすぎ!!





こうして戦国の世の原因になった乱を経て、足利将軍家の権威は下降していき、1493年に細川政元らが10代将軍・足利義材を将軍廃立し新たに別の将軍を擁立するクーデターを起こしました。


この「明応の政変」と呼ばれるクーデターで将軍は傀儡化となり、これをもって戦国時代が始まったとされています。


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細川政元です。義材はムカつくから将軍に座から引きずり下ろしてやったわ!



「応仁の乱」や「享徳の乱」で将軍は管領に操られ、守護大名は家臣にその座を追われる下剋上の世になっていたのですね。


いや!下剋上は足利義教赤松満祐に殺害された「嘉吉の乱」の時に始まっていたんです。







外伝・「俺らは義満の子」その後はこれで終わります。