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1467年に始まった「応仁の乱」は、なんと11年も続きました。
この乱で京の街は壊滅的な被害を受けました。
この乱の間、将軍の足利義政は何をしていたか?
義政は細川勝元率いる東軍、山名宗全率いる西軍、どちらにもつかず中立を保っていましたが、戦を止めることもできず、宴会を開き酒を飲んでいることもあったそうです。
関東では「応仁の乱」より以前の1454年に戦が起きていました。
鎌倉公方の足利持氏の遺児・足利成氏と関東管領・上杉氏との戦いに端を発した「享徳の乱」です。
憲実さんは出家して旅に出て山口で亡くなったんだよ。
この「享徳の乱」は関東一帯で起き、終結まで30年かかりました。
こうして戦国の世の原因になった乱を経て、足利将軍家の権威は下降していき、1493年に細川政元らが10代将軍・足利義材を将軍廃立し新たに別の将軍を擁立するクーデターを起こしました。
この「明応の政変」と呼ばれるクーデターで将軍は傀儡化となり、これをもって戦国時代が始まったとされています。
「応仁の乱」や「享徳の乱」で将軍は管領に操られ、守護大名は家臣にその座を追われる下剋上の世になっていたのですね。
いや!下剋上は足利義教が赤松満祐に殺害された「嘉吉の乱」の時に始まっていたんです。
外伝・「俺らは義満の子」その後はこれで終わります。

