私、足利義満の娘・智子です。
1440年、関東で足利持氏殿の遺児・春王丸、安王丸を擁した結城氏朝殿が挙兵しました。
兄・義教に関東管領代理の上杉清方殿から救援要請があったのです。
義教は今川氏や小笠原氏、さらに関東の諸侯を出陣させました。
そして憲実殿にも政界復帰をし出陣するよう命じたのです。
かたや結城氏朝殿は結城城に籠り抵抗しました。
結城氏朝殿は関東の持氏殿派に檄を飛ばし、宇都宮氏、小山氏等々も挙兵しました。
私は憲実殿のことが気がかりとなり、関東へ行きました。
憲実殿は出陣したくはなかったようですが、義教の命には逆らえず出陣しました。
憲実殿は10万もの軍勢で関東各地の持氏殿派を倒し結城城を包囲しました。
私は結城城を包囲した憲実殿の陣に行きました。
私「憲実殿!」
憲実「これは!智子様、こんな戦の場にまで来られるとは…。」
私「あなたのことが心配だったのです。意に反することになって…。」
憲実「これはかたじけない…。世の流れは思うようにはならぬものですね。私は持氏様を討ってしまい、此度もまた…。」
憲実殿は平和的解決を望んでいましたが、周囲の流れに逆らえなかったのです。
憲実「結城氏朝は持氏様の一派で持氏様が健在のころから私とは対立していました。此度に挙兵も私に対する反発からのものでしょう。」
私「いや、それだけではありますまい。関東の武士は古来より独立心が強いもの。京とは離れた国にしたいのもあると思います。」
包囲した結城城は中々落ちず、憲実殿の軍は攻めあぐね、兵糧攻めにすることにしました。
この頃、京の義教は大和国で反乱を起こした越智氏を討伐するため、幕府の軍勢を出陣させていました。
この幕府の軍勢を率いたのは一色義貫殿、土岐持頼殿でした。
ところがこの2人を武田信栄殿が陣中で殺害したのです。
この殺害は義教の命でした…。
つづく…
