私、足利義満の娘・智子です。
ついに鎌倉公方・足利持氏殿は幕府軍に降伏します。
持氏殿は幕府に恭順を誓い関東管領・上杉憲実殿に兄・義教との折衝を依頼しました。
その上で持氏殿は出家し永安寺に幽閉されました。
憲実殿は私の間者・小百合に義教宛の嘆願書を託しました。
小百合は嘆願書を持って京へ戻ってきましたが、その嘆願の内容は持氏殿の助命と持氏殿の子・義久殿の鎌倉公方就任でした。
しかし、義教がこの嘆願を飲むはずもなく、
義教「許すわけないだろう!憲実はわしに反逆するのではないのか⁈ 憲実に持氏とその一族を討つように伝えよ!!」
憲実殿は義教の命を聞き、やむなく永安寺の持氏殿を攻めました。
そして1439年3月、持氏殿は自害しました。
持氏「無念じゃ…しかし我に続くものが必ず関東に起つはずしゃ!」
さらに義久殿も鎌倉の報国寺で自害します。
戦後、憲実殿は自らで持氏殿を討ったことに虚しさを感じていました。
憲実「私は出家する。全てから退く。」
憲実殿は後を自らの弟の上杉清方殿に託し、関東管領も退こうとしましたが義教は認めませんでした。
こうして永享の乱と呼ばれる戦は終わりました。
しかし、後に持氏殿が最後に残した言葉どおり持氏殿の後を継ぐものが起つことになるのです…。
つづく…

