私、足利義満の娘・智子です。
1437年、京では後花園天皇様が室町第に行幸しました。
室町第
兄・義教は後花園天皇様をお迎えし満足でした。
一方、鎌倉では鎌倉公方・足利持氏殿が関東管領・上杉憲実殿を暗殺するとの噂が流れていました。
憲実殿は危険を感じ相模国藤沢に逃れましたが…持氏殿の申し出により和解しました。
私は関東に火の手が挙がると思い、間者の小百合を関東に行かせるとともに義教に今後のことを話に行きました。
私「兄上、関東を探るため小百合を行かせました。」
義教「うむ。わしも智子と同じことを考えておった。持氏が動き出すのは近々であろう。」
私「兄上はどう動きますか?」
義教「既に駿河の今川、信濃の小笠原にはいつでも出陣できるよう備えを命じておる。いずれ憲実から救援を求める連絡があるだろう。兵を動かすのはそれからだ。」
私「憲実殿からの救援とは持氏殿と憲実殿が戦をするということですか?」
義教「そうなる。持氏が仕掛けるはずだ。」
義教は先を読んで既に動いていたのです。
翌1438年、持氏殿は自らの子・賢王丸を元服させ名を義久としました。
しかし、この元服は幕府には無断だったのです。鎌倉公方の元服には時の将軍の一字を頂くことが慣例となっていたのを持氏は無視したのです。
憲実殿はこれの元服に関し反対を唱えましたが持氏殿は強行したのです。
そして、また持氏殿が憲実殿を討つとの噂が流れ憲実殿は領国の上野国平井城へ逃れました。
私は憲実殿のことが心配になり義教の許しを得て関東へ行くことにしました。
ところが関東へ行こうとした時、小百合から報せが入りました。
それは持氏殿が憲実殿を討つため挙兵したとの報せでした。
ついに関東で戦が始まったのです…。
つづく…

