私、足利義満の娘・智子です。
1434年、兄・義教は自らの子、千也茶丸が誕生し喜びに満ちあふれていました。
我が子を可愛がる義教は周りが恐怖する義教とは違う優しい父親の顔を見せていました。
しかし、その優しい顔の義教を恐怖の顔にする出来事が起きたのです。
昨年、騒動を起こし幕府と和睦した延暦寺が鎌倉公方・足利持氏殿と通じ、義教を呪詛していると噂が流れたのです。
義教は激怒し出兵を命じました。
義教「またも延暦寺か!!六角と京極に比叡山を包囲させよ!比叡山に流れる物資を止めよ!」
私は鎌倉のことが気になり間者の小百合を関東に行かせました。
私「小百合、上杉憲実殿の安否が気がかりです。持氏殿の様子と合わせて調べておくれ。」
小百合「わかりました。では早速。」
私「憲実殿の間者・虎羅と申すものがいます。示し合わせて行動するように。」
義教は兵に命じ、比叡山の門前町である坂本を焼き払いました。
坂本に火をかけられた延暦寺は降伏を申し出てきました。
管領・細川持之ら幕府首脳部も赦免するように義教に要請しましたが…
義教「何を言っておる!一度ならず二度も反抗してきたのだぞ!しかも持氏と通じておるかもしれんのだぞ!許すわけなかろう!!」
義教はさらに激怒していました。
ここで管領・持之殿が強固な対応をします。
持之「御所様が延暦寺を赦免されないのであれば、我ら幕府首脳部は京の居館を焼き払い、領国へ帰らせて頂きます。それでもよろしいでしょうか⁈ 」
さすがに義教も持之殿の申し出には受け入れを拒否はできませんでした。
義教は延暦寺の降伏を受け入れ再び和睦しました。
和睦後、関東に行っていた小百合が戻ってきました。
小百合が持ってきた報せは驚くべきものでした…。
つづく…


