私、足利義満の娘・智子です。
1434年3月、兄・義教に待望の男子が生まれました。
幼名を千也茶丸、後の足利義勝です。
私には千也茶丸は甥にあたります。私も甥の誕生はうれしく、義教の元へ行きました。
私「兄上、男子のご誕生おめでとうございます。」
義教「おぉ、智子。祝いの言葉、嬉しいぞ。千也茶丸はそなたにとっても甥、足利将軍家の後継ぎとなるものだ。」
私「もう後継ぎ決定ですか?」
義教「千也茶丸は我が正室・尹子の猶子としたのだ。後継ぎ争いなど起きないよう、そうしたのだ。」
千也茶丸の誕生は母である日野重子殿の実家・日野家が足利将軍家の外戚を約束されたことになりました。
重子殿の叔父で日野家の当主の日野義資殿は自邸に蟄居中でした。
千也茶丸、誕生に義資殿の元には人々がお祝いに訪れました。
これを聞いた義教は激怒します。
義教「義資は蟄居中、罪人に我が子の誕生に祝いをするとは!義資に祝いをしたものを調べよ!罰するのだ!」
義教は義資殿を全く許しておらず、義資殿の元へお祝いに訪れたものは次々と罰せらました。
私はやりすぎではと思い、義教に尋ねました。
私「兄上…少しやりすぎではありませぬか?」
義教「やり足りぬぐらいだ。義資は我が足利将軍家に巣食うもの。許すことは絶対にできん。そんな義資に祝いを述べるとはあり得ぬことだ。」
私「そこまでお恨みが…。」
義教「あやつは…いずれ…。」
私は義教に怖いものを感じました。何か恐るべきことをするのではと…。
それは現実となったのです。
1434年7月、義資殿は何者かに殺されたのです。
なんと就寝中に殺され、その首を持ち去られたのでした。
犯人は捕まらず、巷では義教の仕業ではと噂されたのです。
さらにこの噂話を口にしたものを義教は捕らえ流罪にしたのです。
私は義教の指示で義資殿は殺されたのだと思いました。それだけ義資殿の恨みは深かったのです。
この後、日野家は義資殿の嫡子、政光殿も所領を没取され出家していた為、政光殿の子が日野家の家督を継ぎました。
それが後の日野勝光殿です。家督を継いだのはわずか6歳でした…。
つづく…

