私、足利義満の娘・智子です。
恐れられる将軍を目指す兄・義教は1431年、牙を剥きました。
その矛先は日野家です。
義教は側室の正親町三条尹子殿を正室にしました。
元々、正室には日野宗子殿がいましたが2人の正室という状態になったのです。
その後、義教と宗子殿の間の娘がわずか2歳で亡くなりました。
さらに兄・義持の正室・日野栄子殿も病死します。
日野家にとっては悪いことばかり続いていますが義教はそんな日野家に追い打ちをかけました。
義教「宗子、そなたを離縁する。娘も亡くなり、そなたもここに居たくはないだろう。」
宗子「……わかりました。栄子様の命で御所様に嫁ぎましたが栄子様もお亡くなりになりましたから、気兼ねすることはないですからね。但し…。」
義教「但し?」
宗子「私を離縁する代償として私の妹、重子を御所様のお側に仕えさせて下さりませ。」
義教「あくまで日野家と将軍家の繋がりをつけておきたい訳か…。わかった。重子を側室としよう。」
宗子殿は離縁となり室町第を出て出家しました。
そして日野重子殿が側室になりましたが、義教は重子殿にかなりの屈辱を与えたようです。
日野家に対する弾圧はこれで終わりではありませんでしたが、それは後のことです。
関東から戻ってきた私の報告を聞いた義教は鎌倉公方・足利持氏殿の征伐をいかにするか考えていました。
だか関東の前に九州平定をしなければなりませんでした。
義教は周防・長門・豊前の3ヶ国の守護大名、大内盛見殿に九州征伐を命じました。
しかし、筑前国で大友氏、少弐氏と戦い盛見殿は敗死してしまいます。
その後、盛見殿の後を継いだ盛見殿の甥・大内持世殿が九州征伐に乗り出しました。
九州のことを大内氏に任せた義教は関東のことについてある考えを言い出しました…。
つづく…
